Rinコラム 『流れる川の行方』

『流れる川の行方』2011年2月号

長年花まる教室長を続けているH教室長に息子さんが生まれました。名前は元気の元に、太いで、「元太」。『子どもが生まれるときにはみんな、この子が元気 に生まれてくれればそれでいい、元気に育ってくれればそれでいいと思っているはずなのに、大きくなるにつれて、あれも、これも、と思うことが多くなる。最 初の、「元気でいてくれればいい」という気持ちをこめて、「元太」』なのだそうです。

子育て真っ最中のお母さんお父さんのそばで、いっしょに子どもたちを見守っていくのが、花まるの役割のひとつです。「マイペース過ぎるのでは」「いつに なったら字がきれいになるのか」「闘争心に欠ける気がする」「手を上げないんです」…目先の細かな不安に気をとられて、最終的に、この子がどんな大人に なっていてほしいのか、という大局を見失ってしまいがちなのが親というもの。ですが、「元気でいてくれればいい」という原点に立ち返ってみると、もっとお おらかな目で、子どもたちを見られるような気がします。いい名前だな、と思いました。

では、花まるのいう「飯を食える大人」とは、どんな大人でしょう。それは本質的なことを言えば、本当の幸せとは何かを知っているということです。

それを構成するのは、子どもたちの中にある、自分はそのままの自分で確かに愛されたという記憶、頑張ればきちんとそれは評価されるんだという確かな自信、 人と比べるのではなく、いつも自分自身の成長を喜びを見出せる力、そういうものでしょう。そしてそれは、低学年までに、滴り落ちた水滴がやがてせせらぎと なり、山を降りつつ小川となるように、じんわりと時には激しい力で、子どもたちの中を流れゆくうちに、少しずつ、たゆたう川の流れのように、確かに育って いくものだと思います。

世間にいれば傷つけられることも否定されることだってある。それに慣れなきゃいけない、とは一理あります。しかし花まるは、肯定すること、肯定されること に慣れるための場です。褒めてもらえて、自信をつけた子供たちは、外でも頑張ろうと思う。守られているとわかっているから、外に向かって伸びていけるし、 傷をエネルギーにも変えられるのです。守ってくれるのは家庭であり、母の笑顔です。

そのままの自分でいいんだ、と思うことにあまりにも慣れていない、そのせいでたくさんの間違いが起こる。それに、丸ごと受け止め、肯定することは多分、否定するよりずっとエネルギーを使うことのように思います。

人は子どもも大人も関係なく、誰かを愛したときに強くなり、悲しみを経験すると優しくなり、認めてもらうことで大きくなります。そんな経験をたくさんたくさんしてほしい。

雪国スクールで、一回りも二回りも大きくなって帰ってくる子どもたちを発見するのが、今からもう、楽しみです。

今年度最後の面談をはじめます。子どもたちの、流れる川の行方を、一緒に見守らせてください。