高濱コラム 2011年 1月号

 ある人から、若者の自立支援プログラムを考えているので、見て意見をもらえないかと頼まれました。トランプのようなカードがあって、そこに書かれた質問について、意見を発表したり話し合ったりする仕組みです。なるほど、こうやって親元を離れて暮らす具体的なイメージをさせるというのは面白いなと感じました。またカードもおしゃれだし、一つ一つの問いかけも気が利いていて、いいのではないかとその方に答えました。

 そのカードの一枚に「親に守られていると感じたエピソードを、みんなに教えてあげよう」というのがあって、アッと思いました。ちょうど考えていたこととつながったからです。それは、人が可愛がられた経験の量と、自立する力との関係です。まず第一に、親に可愛がられたかどうか。これが後の生き方や独り立ちできるかどうかに、とても大きく影響していることは、誰でも納得できるはずです。

 試しに、夫婦同士でも友だちにでも、この質問への答えを3つ言葉にして伝えてみてください。思い出している時点で、何かフンワリした気持ちになっていく自分に気づくでしょう。そして、相手にわかってもらえる言葉にまでできると、複雑な思いもあったりする親に対してだとしても、第一に感謝の気持ちがわくでしょう。普段、意識の表面には出てこない氷山の下のような隠れた部分に、こんなにもたくさんの「愛され経験」の記憶があった。だからこそ、厳しくつらいこともある社会を、たくましく生き抜いているみなさんがいるのでしょう。

 私がこの頃考えていたのは、さらに、何人の「親以外の人に可愛がってもらえるか」が、とても大事なのではないかな、ということです。それは、社会に対する開かれた心や基本的な共感の姿勢・参加意識を形成すると思うのです。

 それを直観したできごとがありました。3年前のサマースクール、青木村のサバイバルキャンプでのことです。村の有志による 「ええっ子村」という団体の一日農業体験に、子どもたちを出しました。今は宿泊までしていますが、当時は朝から夕方までの体験でした。それでも劇的な化学反応が起こりました。

 キャンプ場に帰ってきた4・5人一グループの子どもたちが、口々に「自分たちの班は当たりくじをひいた」という意味で、「あの農家でよかったぁ」「もう一度行くとしたら、絶対(自分が行った)○○さんの家に行きたい!」と言うのです。全員が。

 過疎地のさらに山奥で、子どもたちは都会に出て老夫婦二人きりのような家だったりします。そこで、おじいちゃんが、数日前から竹を切って、裏山の清水のところに自作のそうめん流し場を作ってくれていたり、おばあちゃんは山で採ったり畑でちぎってきた野菜などを「食べなさい食べなさい」と出してくれたりする。そこにあふれる無償の愛情・可愛がる気持ちを満身に浴びて、彼らは変態をとげたのです。

 正直、そのときのメンバーは、花まる各校で1年生時代から伝説を作っていたようなやんちゃ坊主が名を連ねていたのですが、見事な変身ぶりでした。心が空気をパンパンに入れた気球のように満ちている感じ。おだやかでやすらいだ瞳。まるで虎やライオンを送りだしたらウサギになって帰ってきたかのようでした。

 そのときに「ここにはとても大事なものが何かあるぞ」と感じたのですが、最近ようやくはっきりと解けた気がしていたのです。親以外の人にたっぷり可愛がられると、世界を社会を裏切れない気持ちになるのだと思います。地域が崩壊した今だからこそ、大人みんなが協力して、その機会を子どもたちにたくさん提供したいですね。

花まる学習会代表 高濱正伸