緊急メッセージ お母さん、お父さんへ〜第二弾〜 『その特殊消防車は、なぜ存在するか …経済を回せ』

『その特殊消防車は、なぜ存在するか …経済を回せ』2011年3月

 東京消防庁のハイパーレスキュー隊の命をかけた放水活動によって、福島第一原発の危機は、最悪への進行を当面押しとどめることに成功した。彼らの使命感と勇気と成果は、どんなに称えても称えすぎることのないものであり、感動と、頭が下がる想いで、胸がいっぱいになった。

 さて、大人たちが何をすべきか、特に直接の被災者になることを免れた、首都圏以西の人間たちが、何をすべきかである。直接・間接・緊急・長期の救援や復興支援の中でも、消防隊や自衛隊のような直接的な救援を本業とするのでない一般社会人ができる、最大の貢献は「経済をまわすこと」であろう。現状、様々な経済活動が自粛を余儀なくされていることに、危機感を覚える。

 義援金は素晴らしい行いだ。直接入り込んでの看護や救護やがれきの掃除などの肉体労働も、尊い活動だ。だがしかし、みんながみんな本業を「自粛」して、ボランティア活動だけに打ち込んだら、どうなるか。税収ががた落ちになり、今回活躍した特殊消防車などは、一台も買えなくなる。

 自粛は、自粛をできるほどに余裕があるときに意味をなす社会的な振る舞いだ。今回ほどの「1000年に一度の」危機に、そんな余裕はない。数十年程度の人生経験で得た「こういうときはじっと喪に服するものだ」という記憶は、これほどの非常時においては無意味だ。戦慄する映像を何度も見せられて、余震に恐怖し、日々「もしや」と不安にさせられる原発のニュースが続く。気持ちは萎え、心は冷え切る。それは自然だが、我々はそこに鞭打って奮い立たねばならない。

 経済が順調に回転するから、税金が落ちて、その結果特殊消防車が購入できる。たったこれだけの真理を直視せよ。こんな状況でも自粛を言う人は、親方日の丸感覚というのか、それでも誰かが給料をくれると夢想しているのだろう。国土の何分の一かが、産業を支えることができなくなったのだから、元気な側はその分まで活動し経済を回し、被災地の復興分の税金を払っていかねばならない。

 先日、お世話になった幼稚園が、今回の地震で半壊になったというので、家財などを片づける肉体労働奉仕に行ってきた。無名無実績の時代に、弊塾の開催を許してくださった、恩ある幼稚園さんのピンチなのだから当然なのだが、気づいたこともあった。それは、支援活動の荷運びなどやっていると、何だか自分がすがすがしい気持ちになってくるのだ。ことばに出して感謝されると、なおさらだ。

 そういうボランティアの魔力のようなものに魅入られ、活動に一心になって、本業のない(=税金を落としていない)状態になっては、本末転倒である。私たちはまずもって社会人として成立し仕事をし税を払い、のち、ボランティアなどの気高き活動をする資格を得る。

 今までのような、電気の使い過ぎや不必要な贅沢などは、全体的な哲学の変化の中で変更を余儀なくされるであろうが、何といっても私たちは復興の資金を得るために、そして、生き残った私たちの今後の安全の強化を目指し一台の特殊消防車を買い足すために、それぞれの本業において、今まで通りに、いや今まで以上に働かねばならない。新時代の「本当に必要なもの」を考え抜き、商品を開発し、経済を回していかねばならない。

花まる学習会代表 高濱正伸