高濱コラム 『ひとつの植物が開花した瞬間』

『ひとつの植物が開花した瞬間』2012年9月

今年のサマースクールは、35日間、参加児童数が3300人でした。「気迫」と記したオレンジ色のリストバンドを腕に、若い社員たちが一丸となって取り組み、大きな事故なく終えることができました。ありがとうございました。私自身も大勢の子どもたちと触れ合い、思い出はノート一冊分になりました。中でも感慨深かったのは、幼児期の大変さを覚えている子の、6年生になっての成長を見届けたことです。

一人はH君。年長のときに親子キャンプで初めて会った時の衝撃は忘れられません。お父さんとの参加だったのですが、キャンプファイアの輪に参加できないどころか、火をまたいで通り越して暗闇のかなたにビューッと走り去ってしまいました。あっちへ消え、こっちにいなくなり、落ち着かないという言葉では表現しきれないものすごい運動量でした。

弱気な親だったら絶望してもおかしくない状態だったのですが、お父さんは「私の小さい頃によく似てるんですよ」と笑ってらっしゃいました。お母さんは、「学校が大変で」と、何年生になっても心配が絶えない様子でしたが、印象に強く残っているのは、それでも可愛くて仕方ないという気持ちが表情ににじみ出ていて、素敵な笑顔だったことです。

そのH君が宮古島のコースに参加したのですが、久々に見た彼は背も伸び、男っぽい表情に変わっていました。片鱗を見せていた頭脳の回転力には磨きがかかっていて、同じ班の女子に「あんまり笑わせないで」と言わせるほどに、ユーモアと人付き合いの力をつけていました。そして、飛行機を降りるたびにアテンダントさんに、はつらつと「お世話になりました!」と挨拶できるのです。私がほめると、照れもせず「先生、僕、こういう挨拶がとても大事だって、もう分かったんです」と言ったのでした。

もう一人はK君。低学年時代は毎週の授業で直接教えていた子です。普段は穏やかなのですが、気に障ることがあると、感情をコントロールできなくなり、激しく泣きながら怒り続けているような状態でした。そうなるとなすすべが無いのでした。このお母さんも、その切れることについて話し合っていても「ねえ。どうしましょう」という言い方が、のんびりしておだやかだったことを、よく覚えています。4年生になるときに他県に引っ越し、しばらく見なかったのですが、鹿児島の修学旅行に参加してくれました。

私は現場ではよく、天候など起こった状況やリーダーの様子を題材にして歌を作り子どもたちと歌います。その日は彼のメモ帳を借りて歌詞を書き、牧場でのバーベキューパーティーで、地元の人たちを前にして大合唱しました。ところが終了後、そのメモ帳が無くなってしまったのです。以前の彼だったら即パニックだったと思いますが、灯りもほとんどない牧場を、彼は黙々と探し続けていました。夜もふけ、時間が無くなったときには、悲しげな表情でしたが、私が「誰も持っていく人なんていないから、必ず出てくるよ」と言うと、一言「ハイ!」と答えるのでした。たくましくなったなあと感じました。

地元の普通の方々から何個鹿児島弁を収集できるかというゲームでも、とても素晴らしいやる気と行動を見せたことなどもあって、4日間を通したMVPになったのです。自分では思いもしていなかったのか、空港で発表したときの、彼の笑顔は本当に輝かしいものでした。それは6年間をかけて、ひとつの植物が開花したようでした。H君やK君のような事例は、手がかかったからこそ、とでも言える喜びがあります。それにしても、こんな成長を見届けられる仕事って、幸せだなと感じます。

ところで、件のメモ帳ですが、どうなったかというと、夜中に寝ようと着替えていたら、私のウエストポーチと腹の間から出てきました。そう言えば、ギターを弾き終え、この大事な歌詞を無くしてはいけないと、挟み込んだのでした。そのことも、K君はほほ笑んで許してくれました。彼らの成長とは対照的に、おじさんは確実に衰えているようです。