高濱コラム 『あのころの未来に、ぼくらは立っているのかな』

『あのころの未来に、ぼくらは立っているのかな』2013年3月

 花まる学習会創立から20年が経ちました。人間で言えばちょうど成人で、4月からは21年目となります。参入障壁のない厳しい業界で生き延びて来られたのは、よき出会いに恵まれたからです。チャンスを与えてくださった園長先生、お子様をあずけてくださった保護者の皆様はじめ、これまで関わっていただいた全ての方々に感謝いたします。本当にありがとうございました。

 さて、この文章を読んでいる方にお尋ねします。20年前には何をしていましたか。
 保護者の中には、独身だった方が多いでしょう。別の仕事をしていた、就職したてだった、大学受験生だった、外国にいた、恋に夢中だった…。様々でしょう。結婚に憧れていた方も、結婚なんかするもんかと思っていた方も。親と喧嘩していた方も、すでに親の一人を亡くしていた方も。高校生や中学生だった方もいるでしょうが、人生って何だろうという答えのない問いに直面し、未来を自分なりに想像していたことは、みんなに共通しているでしょう。

 一方で、縁があって先生として働いてくれている社員や講師たちは、年齢差も大きいですから、最初の子がすでにいたという人もいますし、幼稚園にいたとか生まれてもいなかった人もいます。
私はと言うと、20代の長い長い回り道を経てようやく進むべき道を確信し、船出をしたばかりで、4月からの授業を前に、朝も晩もなく、ひたすらなぞぺーや計算の問題をワープロで作成していました。何か良いことしか起こらないような予感に満ち満ちて。

 そんなさまざまな個人が、時の流れの中で、かたや結婚し子宝に恵まれ、毎週の授業に生徒として我が子を送り出す親として、かたや社員として講師として、同じ場で協力する関係になっています。目的はただ一つ、子どもたちが、メシが食える大人・魅力的な大人になってくれること。

 「あのころの未来に、ぼくらは立っているのかな。全てが思うほど、うまくはいかないみたいだ(夜空ノムコウ)」という歌詞の通り、だれもが、あのころ夢見た未来に立ち、生きています。かなった願いとかなわなかった願いを胸に。私も予想通りにはいきませんでしたが、ずっとハッピーではあったなあと、今思っています。授業やサマースクールという場で、子どもたちと常に接することができたからです。

 先日も、6年生向けの卒業記念講演で、こんなことがありました。私が言うことは毎年基本的に同じ。しかし聞く生徒は毎年違います。ギラリと光る瞳で真剣に聞いてくれるのです。その中の一人が、帰り際の集合写真のときに隣に来て、他の子に聞こえないように気をつけながら、こう言ってくれました。「高濱先生、僕実は学校でずっといじめられていたんです。でも、今日の話を聞いて…、やっていけそうです!ありがとうございました!」
 こういう一瞬があると、台風一過の青空のような気持ちにさせてもらえます。人間の行うことは、学問にせよ仕事にせよ、突き詰めればすべて子どもたちの未来のためにあります。教育という、そのど真ん中の仕事をやれるありがたみを感じながら、これからも若き仲間たちと頑張ってまいります。ご支援、よろしくお願いいたします。

花まる学習会代表 高濱正伸