高濱コラム 『数学大国』

『数学大国』2013年1月

 不安を煽ることがマスメディアの強力な商品の一つで、そのメディアは今や第一権力ですから影響力絶大で、いつしかこの国は八方ふさがりででもあるかのような、漠然とした不安に満ちてしまったなと思います。経済でも、もうすぐそこに破たんが迫っているかのような。

 53歳。経済成長の時代に育ってはいますが、同じ服を一年間着ていた同級生がいましたし、貧困の名残はここかしこに目撃しましたから、「何を言ってるんだ、どれだけ豊かなんだよ、まだまだ」と、いつも思っていますし、根拠のない楽観が体の芯にあります。

 ちょうど、ある雑誌で堀場雅夫というベンチャーのカリスマじいちゃんが、こう言っていました。従業員の半分は欧米人だが、やっぱり日本人の潜在的な能力はすごく高いと実感する。むしろ日本人の課題は持てる力を具体的なアクションにつなげられないことだ。ビジネスチャンスは人間がいる限りなくならない。「前例」にこだわって「言い訳」して積極的にチャンスを見つけようとしていないだけ。三度の飯が食えるどころか、医者から肉を食ったらいかん、白い飯もあんまり食うなと言われている。どこが不景気やねん。

 経済が国民の「気分」に大いに左右されるとしたら、私たち大人が率先してこういう感覚を取り戻さねばならないでしょう。そういう意味において、みんなが「自信」を持てる視点を、昨秋にひとつ得ました。それは「日本は数学大国だ」ということです。

 桜井進という個性的な方との対談で、それに気づかされました。彼は江戸の数学文化の高さを強調して話してくれました。江戸文化の豊かさについては、落語・歌舞伎・浮世絵・(興業としての)相撲…、いくつも引き合いにだせるのですが、寺子屋教育の広がりという土台の上で、数学文化の繁栄こそ凄味あるものだったと、彼は教えてくれました。

 調べてみると確かに、算数の基本知識に加えて、ちょうど「なぞペー」のような思考力問題を集めた「塵劫記」が、ほぼ一家に一冊くらいの数で売れる大ベストセラーであったようです。また、額や絵馬に数学の問題や解法を描いて、神社仏閣に奉納した「算額」についても、数学者だけでなく数学を愛好する庶民が奉納していたようです。素敵だなと思うのは、入試のためでも何でもなく楽しみとして数学を楽しむ人が大勢いたという事実です。

 桜井氏曰く、明治維新の工業技術など、西欧文化の導入においても、戦後の高度経済成長においても、フィールズ賞をとった人数での近隣諸国に比べての突出ぶりにおいても、この数学力という土台が大きかったとのことです。

 それを聞いていて、はたとひざを打つものがありました。それは、例えば中学入試の算数の問題の百花繚乱です。とても素敵でキャッチーな良問が、毎年全国の中学の先生によって、「見返りを求めず」作成されます。それは何か数学道ともいうべき姿勢で、「どうですか、いい問題でしょう」という作者の気持ちが伝わるものばかり。全国に何人もそういう人材が一先生としているという事実。それは他にも、「大学への数学」を始め、数学愛好の気持ちの結晶のような雑誌を、長年出版し続けている東京出版に集まる人物群にも、算数オリンピックに問題を提供している塾講師や数学者たちにも共通します。

 何でみんなこんなに良心的に「良い問題」や「良い解き方」を味わったり提供しているんだろうという、長年の疑問が氷解したのでした。何だ、これって江戸に始まる日本の伝統だったんだ!そう言えば、私の情熱大陸でもっとも反響の大きかったのが、公園で葉っぱを折って45度を作り電柱の高さを測るという青空授業に対してのものでした。つまり、あれを「面白いな」と感じる文化的土壌が我々の中にはすでにあるのです。

 ちょうど先日、ホームレスとおぼしき男性が道端で数のパズルに熱中しているのを見ました。日本の底力は絶対に大丈夫。課題は堀場翁が指摘する通り、自信や積極性を取り戻すことなのでしょう。それはもちろん、子ども時代の遊びっぷりに原点があるに決まっています。

花まる学習会代表 高濱正伸