高濱コラム 『育ちゆくもの』

『育ちゆくもの』2014年8,9月

 H君は、小1から9年間ずっと見てきた子です。2歳上のお姉さんは、花まるの出版物などでよく使われる5人の女の子が頬をくっつけて笑っている写真の中の一人。愛情あふれるご両親に見守られ、途中から可愛い9歳下の弟も加わり、温かい家庭ですくすくと育ちました。1年生の頃は、友だちと実に楽しそうに大笑いもするしケンカもするワンパク坊主でした。中学になると我々に対しては寡黙になりましたが、子ども同士の世界では人望が厚く、生徒会長でした。順調に育ったなと思っていたのですが、高校入試では第一志望校で失敗しました。直後の卒業記念講演会。来るかなと心配していたら、堂々と座っていて嬉しかったことを覚えています。

 彼は、自分が行けなかった学校に合格した友人Y君のことを心から喜び、スクールFCの職員に「僕は、問題の良い解き方とかを知ったときに、自分だけのものにしようと思った。けれどYは率先して教えてくれた。神様はそういうところを見ていたんだと思います」という趣旨のことを言ったそうです。それを伝え聞いたときに、彼の世界を俯瞰する力を感じ、「あ、この子は結果は辛かったけど、試練を肥やしにして立派に育つな」と直感しました。実際、中学校の卒業式では、生徒・先生方や保護者たちの心を揺さぶる、力ある答辞を読んだのです。

 そんなH君が、久しぶりに登場。高校生リーダーとして、サマースクールのサバイバルキャンプの国に参加してくれました。十代の一年半はこんなに育つのかというくらい背もスラッと伸び、肩ががっしりとしていました。会うなり「先生、武雄おめでとうございます。夢が実現しましたね!」と言ってくれたのも嬉しかったですし、握ってきた手の力がすごく強くなっていました。

 活躍ぶりは目を見張るものでした。例えば、青空授業を開催した学校から、二人で大量のゴミを車で運搬してきたときも、トランクを開けるなり運ぼうとする私を制し「あ、大丈夫です。自分やります!」と動き出す一歩目が早い。

 食事の世話でも、キャンプ場では、配給や火の世話などをしながら、まず子どもたちに食べさせ、残り物をリーダーが分ける形になるのですが、「おいH、まだ何も食べてないだろう。食えよ」と言っても、「いや、○○さん(先輩リーダー)もまだなんで、ちょっと持って行ってきます」と爽やかに走り出す。それは気負いがなく、自然な言葉でした。自分を一番最後にして、人を思いやり気働きのできる骨太の青年に、彼は育っていたのです。

 二人で先にキャンプ場に戻り、彼が五右衛門風呂の当番として、帰って来る子どもたちのために一心に火を起こしている姿は美しいものでした。強い背筋力を感じる背中を丸めてかまどを覗き込み、ただひたすらに。

 小さい頃、おばあちゃんは何ですぐ泣くのかなと不思議に感じたことがあります。運動会で開会の言葉を言っただけなのに、みんなと同じ徒競走を走っただけなのに…。私は彼の背中を見ながら泣いてしまいました。まさしくあのときの祖母の涙そのものでしょう。愛するものが育つ喜び。理由なんてない。ただ骨格がたくましくなるだけで、行動が少しお兄ちゃんになるだけで、一つひとつ嬉しいのだけど、少し時間を置いて会うと、その育ちぶりが明確で感動してしまう。

 ちなみに、その姿をFacebookにアップすると、大きな反響がありました。特にお母さん方の琴線に触れたようで、中には「うちの娘、こういう方と結婚してくれないかしら。小3なのでチャンスありですよね」という声までありました。

 さて私は、「愛情はリレーだ」といつも言っています。たくさんもらった分、人にも与えられる。私の祖母は私を一方的に愛してこの世から去りました。返しきれない愛。しかし、その無償の愛情を豊かに受けたおかげで、今、若き命を慈しむことができるのだと思います。両親はもちろん、自分では覚えていないたくさんの、周りで心配し愛してくれた大人たちのおかげで、人のために生きる力を与えられるのでしょう。私がアップした写真にコメントを寄せてくれた方たちも、同じだと思います。

 後に彼は作文を書いて持ってきてくれたのですが、それによると、実はそんなに立派でもなく、最初はやる気もそれほどなかった。しかし、社員のリーダーたちが、真剣に子どもたちに向かう姿に触発され目が覚めて、意識が変わり行動が変わったのだそうです。正直な作文でした。それも素敵だったし、良きものに向かう若い心と心の共鳴は、本当に嬉しいものでした。

花まる学習会代表 高濱正伸