高濱コラム 『AQ』

『AQ』2014年7月

 信頼できる方からAQという言葉を教わりました。 Adversity Quotient(逆境指数)といって、ハーバードの教授が創造した指数だそうです。小さい不安から大きな危機まで、人が逆境においてどう振る舞うかを研究した成果で、「逃げ出す」という最低レベルから、苦しみながらも「生き延びる」というランクがあり、「ただ単に対処する」「管理し解決しようとする」と続き、最も上位の人たちは「楽しむ=逆境を栄養源にしてさらなる成長をする」のだそうです。典型的な例としては、大成功した実業家の資質としてもっとも顕著だったのが、AQの高さだったとのこと。
 これは長年社会で働いて、脱落した人、のし上がった人をたくさん見てくると、すこぶる納得できる視点です。溌剌とした表情で入社してきても3日目には愚痴を言う人は、結局長続きしないし、少なくとも上には上がれません。人は愚痴っぽい人になど絶対ついていきたくないからです。他の人が耐えられることを、投げたりあきらめたり心折れたりする彼には何が足りなかったのか。人柄は優しいのです。優しくは育てられた。しかし、しなやかな強さを育んでもらえなかった。教育の失敗の末路です。
 AQを教えてくれた方は、強い子がどう育つかという研究結果も教えてくれました。ダメな親は、わが子の逆境に「過保護」という対処をする。伸ばす親は、むしろ逆境を与えようとするのだそうです。苦労は買ってでもしろと言い切れる親。ふーんと聞きながら、花まるの指導方針そのものではないかと思いました。もめごとは肥やし。
 逆境を楽しめる人は、人生を満喫しようとしている人です。何もかも安定して問題ありませんという人生ゲームは面白くないと分かっている。だから自分にとって適切な負荷のかかる状態、「どうだろうできるかな、いややるしかない」と思える程度に向かい風や壁や目標があったほうが、充実できると知っている人です。
 それは幼いころからの「適切な負荷の体験とその乗り越え経験」の積み上げによってのみ培われるものでしょう。ちょっと考えれば分かることでも、「この子に嫌なことがありませんように」という過保護な除菌主義に陥るお母さんは後を絶ちません。それは、至らないというよりは、時代の病ととらえた方が良いでしょう。
 本来お母さんというのは、心配が泉のようにコンコンとわき上がる生き物。わが子が泣いて帰ってきたり落ち込んでいたら、心配で仕方なくなるのは当たり前なのです。結婚前は「今のお母さんたちってトラブルに向かわせる力がないですよね」と言っていた弊社の女性社員が、自分が出産したら、赤ん坊を抱っこしたまま「この子に何かあったら許しません!」と様変わりしたのが典型です。母の本質は心配症で、危機が降りかかるのを阻止しようとする気持ちになるのは、何もおかしくありません。
 ただ昔は夫が強くいられた(本当に強い女性が男を持ち上げてくれた)ので、夫は「男なんて叩き合って育つもんだよ」と言い切れたし、地域の先輩ママのつながり(それは新米ママ自身のゆりかごでもあったでしょう)の中で、「うちもあったあった。喧嘩して強くなるのよ」と支えられた。それが全く無くなった。私たちが考えなければならないのは、そういう前提を踏まえてどう育てる具体策を持つかということです。
 体のことを考えれば分かりやすいと思います。小さい頃からちょっとした発熱、下痢、嘔吐など、ほどよい負の体験としての病気をすることで、免疫ができ、長じて病気になりにくい強靭な肉体になります。除菌一辺倒で育てられ、大人になって初めて菌をもらうと重篤化したり命を失う例もあります。ほどよい(命を失わない程度の)病気の積み重ねが成人後の強さにつながる。心も同じです。除菌主義は破滅の思想。ちょうど良い程度に、子どもならでは喧嘩やトラブルがあることが大事。現場に張り付く先生の仕事は、その「程度の見立て」にこそあると言えるかもしれません。
 つい先日、1年生の男の子のお母さんが面談で、「寝顔を見ていると、愛おしくて切なくて涙が出るんです」とおっしゃいました。それが母心。その母の気持ちを抱きしめつつ、試練と歓喜のごった煮のサマースクールに出発することにします。
 どの子どもたちにも、豊かな経験に満ちた夏でありますように。

花まる学習会代表 高濱正伸