西郡コラム 『小学校をプロデュースしてほしい』

『小学校をプロデュースしてほしい』 2014年6月

長野県北相木村には、小学校が一校だけしかない。村唯一の小学校で月に一回、4年前から花まる学習会の社員が出張で授業をしている。「考える力を伸ばす」授業として、アルゴ、キューブキューブ、手作りなぞペーを中心に授業をおこなってきた。今年度は、「考える力を伸ばす」授業に加えて、4年生以上を対象に学習に対する意識を高める授業をやってくれないかという学校からの要望があった。そこで、今年度から私も参加して授業をおこなった。
 村唯一の公立小学校、4年生以上全員集めても30名に満たない人数しかいない。今年度の予行演習として、昨年度2月に最初の授業をやった。まずは、全員で声を出す。発声と音読と体の解放、「道場心得」を全員で声を出して読む。公立小学校の授業で「道場心得」を読むこと自体、これを読んでいいのだろうか、大丈夫かとこちらが多少心配になったが、すべてお任せしますと委託されたからには、全力投球、出し惜しみはしないことが礼儀。意識改革ならば「道場心得」、音読して、一文一文の意味を子どもたちに考えてもらう問いかけ、わかりやすく具体的な例を交えて説明した。学ぶことそのものに、子どもたちと向き合ってみた。学校でおこなった最初の授業は、「道場心得」だった。子どもたちだけではなく、学校の先生にも、この授業は新鮮に映ったらしく好評だった。
 今年度の最初の授業は、実質2回目になる。今回は「文をイメージする」と題して、「よだかの星」(宮沢賢治)の文を絵にしてみる、文字を映像化する授業をおこなうことにした。事前に教材となるプリントの原本を先生に渡し、印刷をお願いしていたところ、授業には「道場心得」も印刷して用意してあった。前回の授業で「道場心得」を読んだ、今回は「道場心得」を読む、は私の頭にはまったくなかった。新学年になった、もう一度読んでほしいという、先生たちの願いと私への心遣いを感じた。学校の先生が、塾の講師である私を公立の小学校で受け入れてくれた、無性に嬉しくなった。
 お望みどおり「心得」の音読、「よだかの星」の冒頭の音読から授業は始まった。体から声を出すのは、眠っている、動いていない体と心を起こすため。何度も音読して、冒頭の「よだか」を描写したシーンを絵に描いてもらった。どう描いていいか戸惑っている子どもたちも「いい絵なんていらないよ、自分が思い描いたことをそのまま描いていいんだよ、面白い絵がいいな」「味噌をつけたような顔ってどんな顔なんだろうね、まだら、って何だろう、よぼよぼの足、ってどんな足、自分がこうではないだろうかと思えばそう描いていいんだよ、正解はないから」といった声かけをどんどん浴びせると次第に手が動き始め描きだしていった。そして出来上がった子どもの絵を取り上げ、みんなに見せる。「いいね、これ面白いね、あなたはこう思ったんだ」と表現自体の面白さをどんどん褒める、すると次から次に出来上がった絵を子どもたちは私に持ってくる。そして、自分が描いた絵を誰一人として恥ずかしがることもなく、引け目を感じることもなく、全員が私に見せ、みんなに見せる。大人では思いもしない想像力に満ちた絵を子どもたちは描いてくる、私自身が感動する授業となった。
 授業後、先生が一人の児童が描いた絵を複写して私に見せ、この子を覚えていますか、授業中、立ち上がって教室から抜け出しどこかに行ってしまう子なんですが、こんな絵を描いたんです、と。確かに、2月に授業をしたとき、教室から出ていくまではしなかったが、先生が付きっ切りで横に沿う児童が二人いた。しかし、授業が始まるとそんなことはすっかり忘れていた。今日の授業で、二人とも授業を放棄するどころか一生懸命に描いていたのだ。差し出された絵をみて、耳まで裂けた口、味噌をつけたようなまだら模様、そして、よぼよぼの足を波線で表現している、全体のバランスもいい、想像力豊かな面白い、この絵は、あの授業を抜け出す、あの子が描いたのかと、二度目の感動があった。
 放課後、校長、教頭、そして先生たちと意見交換のミーティングをやった。そこで、主任の先生から予期せぬ言葉が飛び出した。私に「この学校の授業をプロデュースしてくれませんか」というのだ。月に一度の花まる授業をやらせてもらってきた。そして、先生たちが自主的に「花まるタイム」と称して、花まるスタイルの授業を毎日15分おこなってくれている。子どもたちも「これから花まる授業を始めます、イェイ、イェイ」といってくれる。これだけでも画期的なのだが、今度は授業全般をプロデュースして、「花まる小学校」を先生たちとつくろう、というのだ。子どもたちのため、先生たちのため、学校のため、村のため、私でお役に立てれば、と即座に快諾した。が、期待の大きさと責任の重圧に、引き受けたものの私にできるのか、内心、心が怯む。
 校庭に出ると、5,6人の子がグローブとボールとバットを持ち、これから野球をするという。「先生(私)が投げるから、打ってみろ」と声をかけると、目が輝きだし、即座にシートバッティングが始まった。私が投げ、子どもたちが打つ。私がデットボールを与えてしまっても、痛がるそぶりも見せずに、さあ来いとばかり、すぐにバッターボックスに入る。投げる、打つ、捕る、走る、ただそれだけの子どもたちとの交流に、この上もない幸せを感じた。
「学校をプロデュースする」なんて、大げさなことはでなくていい。子どもたちと幸せな時間をともにできる学校、これでいいのではないかと。

西郡学習道場代表 西郡文啓