西郡コラム 『先生も育つ』

『先生も育つ』 2014年8,9月

官民一体型の小学校を特集する報道番組が放映された。もちろん、花まる学習会を紹介する内容がメインなのだが、その放送の終盤、東京都の足立区で公立の小学校の新任の先生がベテランから指導を受ける場面も紹介されていた。ベテランの先生が新任の先生に授業のフィートバックをしながら、模範として、新人の先生用の指導マニュアルビデオも同時に見ている。新任の先生の多くは、採用試験合格、大学・短大を卒業後、即、教室を持つ。教員免許を取得する段階で、実習と称して、実際の現場を学ぶ。教室という現場を任せられる人材の証として教員の免許がある。しかし、実情は、報道されたように実際に教室を持ちながら研修している。しかも、これから多くのベテラン教員が退職し、新人教員が増える構造的な問題も抱えている。
 花まるの教室長をどうやって育てているか。私自身、しばらく花まるの現場を離れ、FC、道場の授業をやってきたので、今年は、花まるの授業をもう一度学ぶために、花まるの新入社員の研修に参加している。新人社員は4月入社後、座学から始まる。花まるの理念から社員としての心構え、動き、花まるの教材、授業、連絡帳、それからFCの理念、教材、授業、さらにフロス(心の相談、療育)など、教室で子どもたちの前に立つために学ぶことは盛りだくさんにある。新人はここで心が萎えてくる。
 頭で考えて理解しているだけでは、実際の現場では用をなさない。わかっているだけでは通用しない。現場を想定した模擬授業、模擬面談、実地訓練が始まる。この間3ヶ月、午前は座学、模擬授業、模擬対応、午後は現場の教室に入って、テーブル講師として、教室のライブを見て覚え、肌で感じる。もちろん、試験がある。テーブル講師の試験、教室長の試験、合格した者が秋から教室長としてデビューする。全員が合格するわけではなく、合格できない人も多い。合格を容易に出さないのは当然のこと。子どもたちは花まるの授業に来てくれる、保護者は花まるの授業に子どもを送り出す、その期待にこたえる、惹きつける魅了ある人が現場に立つ。合格できないものは次の機会まで努力を重ねるのみ。彼らには、合格しないからといってめげるな、焦るな、卑屈になるな。合格しない自分と向き合い、努力することで教師として味は出てくる、不器用な人ほど習得したときの魅力は大きい、と伝えてある。
 この3ヶ月間、ほとんどの新入社員は涙した。
 「本当にサボテンのよさをわかっているの。ただ、マニュアルを読んでそれを伝えているだけでは、相手には何も伝わらない。あなたというフィルターを通さないと実態は見えない。よさを感じないと。もう一度」「はい、ストップ。やり直し。だれにいっているの。手順を覚えてきたことは認めるが、自分の言うことを相手いらずに、ただ、しゃべっているだけ。自分が用意したものを自分勝手にやっているだけ」「なぜ、そんな厳しい表情をするの。子どもたちは解放されないよ。子どもたちをもっと見て、感じて、子どもたちからもらえるから、一人でがんばらなくても、子どもたちが助けてくれるから。キャッチボールをするの、コミュニケーションでしょう」「テンポがない。花まるのテンポ、子どもを飽きさせないテンポ。ダンスの振り付けを思い出しながら踊ると、間ができるでしょう。気持ちの悪い間なの。身体で覚えてきて」「やっている最中に反省しない、反省はおわってからでいい。反省は自己満足、あなたの研修に付き合ってくれる人たちにとって無駄な時間」
 容赦のない言葉を浴びせた。なぜ。現場の教室で教室長として困るのは自分だからだ。時々、私自身もやってみる。やって見せるのではない。花まるの現場から離れている、しかも、花まるの授業が進化して、今の形になってから私はやっていない。新入社員に浴びせた言葉は自分に返ってくる。純粋に、俺、できるかな、という思いからやってみる。そして、私の教師としての錆び落としとして。
 幾人もの先輩社員が新入社員に模擬模範を見せてくれた。ベテランの社員だけはではない。入社して4,5年目の、若い社員にも模擬授業をやってもらった。見て、納得。どうやって、今の授業レベルまでできるようになったの、と聞いてみた。最初は、全然だめで、子どもたちはだれも聞いてくれませんでした。悔しくて悔しくて、自宅で一人、何度も練習をしました。それもいろんな場面を想定しながら練習しました。この言葉の重みを理解できるか。当たり前だが、できなければ練習するだけのこと。
 さて、公立の学校の先生はどうか。もちろん、一年目から担任という職務をできる人もいる。しかし、経験値がない中で、30人のクラスを任せられるとなると、新任の先生には酷である。教員養成のための資格取得講座の問題なのか。教員免許制度の問題なのか。少なくとも、学校の先生になる人には、花まるの現場を知ってほしい。新人先生のためのマニュアルビデオもいいが、私たちの考え、やり方を身に付けてもらえば、子どもたちも、教室も、保護者も、そして先生自身が楽しく学校生活を送ることができる。
 花まるの授業を月に一度行っている、ある公立の小学校の校長から「花まるの授業をやってもらって、子どもたちは楽しみにしています。生き生きしています」といってもらった。そして、子どもたちではなく、先生にも授業を見せてください、ともいわれた。難しいことはいらない。私が子どもたちに渡して、子どもたちから私がもらう、面白いね、いいね、一人ひとりに言葉をかけて、認め合う、ただ、それだけのこと。子どもが、私が楽しむ授業をする。本来、それがやりたくて、学校の先生になった人たち、私の意図が理解できないはずはない。
 花まるの教材。教具のよさと、やり方を私たちが説明する、やって見せる。翌月、その学校に行くと、先生たちがアレンジして、自分で作って、授業をやってくれる。小さな小学校の、些細な研究会だが、そこから先生たちが変わろうとしている、大きな一歩だ。塾、学校の垣根はない。
 子どもたちの前に立つ先生が育っている。育てているのではない。私自身も含め、自らが自らを育てるしかない。

西郡学習道場代表 西郡文啓