Rinコラム 『そのままのあなたを愛していますか』

『そのままのあなたを愛していますか』2015年3月

子どもができるということは、自分よりも大切な存在がこの世にできるということ。失うことへの恐怖が同時に生まれるということです。子育ては最大のボランティアで、同時に、もう一つの人生を2倍も3倍もの喜びをもって味わえる、ギフトでもあります。
 自分を信頼することによって、本当の意味で、わが子の幸せを願うことができます。しかしそうでない場合は、“もうひとりの自分”を守ろうとするあまり、子どもたちを不自由な世界に閉じ込めてしまいかねません。この子をつぶしてしまうかもしれない、わが子を愛せない、これでいいのだろうかと苦しみ、助けを求められた方は、たくさんいました。ちゃんと育てたい、そう思っていない人はいませんでした。

私はこれまでもずっと、親自身が自分の人生を生きているかどうかが、子どもたちの自己肯定感を育てるために大切だ、と伝え続けてきました。自分が自分自身を、ありのままに全面に出しても、そのままで愛される。受け止めてもらえる、あるいは認めてもらえる、そんな経験を、お母さん・お父さん自身がもっているでしょうか。

子どもたちは、両親のもとへ、必然的に、選んで訪れています。ですから、子どもたちが見せてくれる世界をどう感じるかは、あなた自身によりフォーカスしてよいものなのです。わが子を、別の人格と目的を持って、新しい時代に生まれてきた第三者であることを前提に、「親馬鹿フィルター」を正常に作動させられていますか?わが子の人生は、あなたの人生ではないのです。自分がやりたかったことを、こうありたかったと願っていたことを基準にしすぎていませんか。あなた自身の夢は、なんだったでしょう。

子どもたちが持って生まれてきた、その子にしかないポテンシャルをどうのびのびと育み、大輪の花を咲かせていくのか。親とは、「あなたはそのままで、大丈夫よ」と子どもたちを守ってあげられる存在であり、何かがあったときには走って戻ってきて、抱きしめてもらえる場所なのです。私たちは親にはかないません。そこから安心して子どもたちは外の世界へと歩んでいきます。

これまでずっと「あなたが一番よ」と認めてもらえなかった、本当の自分。いつも誰かのための「いい子」でいたから、他人に褒めてもらえる「いい顔」しか出せない自分。それなのに、子育てが始まると、目の前に見えるのは、「好きなことをしているわが子」。どう受け止めたらいいのだろう?そう感じるのは当然です。こんなことでいいの?と怒りを覚えるかもしれません。それはあなた自身が、ただ純真で、痛みを抱えたまま親になった子どもだからです。ちゃんと育てたい、そう思うのに、心の底からわが子のすべてを認めてあげられない。そんなときはあなたの中の子ども時代の、認めてもらえなかった「いい子」のあなたに気付いて抱きしめてあげるときです。

2015年は、より創造的で、自分らしい人生を、喜びとともに生きていくことを能動的に選択していく年です。そのためには、自分自身を信頼し、愛し、喜びとクリエイティビティをもって、楽しみながら生きることが問われるでしょう。そう、親自身が、です。

人の役に立つ使命をもって生まれてくる、より自由な存在の子どもたちを育てる、親たちのためのセッション、ワークショップを2015年度はスタートしようと考え中です。1-3歳児の、子育て時代の入り口に立つ母たちと、その子どもたちを、創作(芸術・音楽)と教育によって、導いていきます。
 将来何を選んでも、どんなことをしても大丈夫。恐れる必要はなく、いつでも挑戦できる。それが素晴らしいこと。いつでも見ていてくれる人が必ずいる。それを伝えたい。すべての子どもたちが、その子らしい人生を歩んでいけるように。

―略― 人見知りが始まったのか、おじいちゃんおばあちゃんに抱かれると火がついたように激しく泣き出すようになった。夫があやしても落ち着かない。私が抱くととたんに泣き止み、怒ったように顔をすり寄せてくる。「この子は私がいないとダメだね~」と思ってしまった。「この子、私がいないと何にもできないんです」。青い箱の男子をダメにしていくお母さんの言葉。お母さんは、幸せなハネムーン期をいつまでも忘れられないのかもしれないと思い、そしてどれだけ目にしたかわからないこのNGワードを、言いそうになった自分の「無意識」に苦笑いする。これに限らず子育ての様々なNGワード。言ってしまう、やってしまうように、母はプログラミングされているのではないか。そう思ってしまう。 ―略― だからこそ母親が、学び続ける必要があるのだなと改めて思った。
(社員の育休日記より抜粋)

こうやって女性は、「お母さんという生き物」になっていく。教育者として、彼女の母親としての言葉の重みをひしと受け止めました。日々謙虚に、この世で最も美しい母子という存在に、寄り添い続けるだけです。