Rinコラム 『よりよい環境って』

『よりよい環境って』2015年2月

力が伸びるのは、自分がいま出しきれる限界を少しこえたときです。スポーツなどされている方は、「ああそうだな」と体験的にわかるかもしれません。
 教育者としてそういう環境を作り出してあげること、そういう視点がいつもあることが、とても大切です。我々はそれを、「よりよい環境」と呼んでいます。子どもたちが、ちょっと無理をしなければならない、すこし頑張ってやってみなければならない、そんな状況のことです。冷暖房が整っていて、すべてのものが準備されている完璧な環境、とは違うことを意味すると、お分かりでしょうか。
 たとえば、ひとりでお留守番。電話がかかってくるかもしれないし、宅急便が届くかもしれない。手の届かないところにある何かを、いつもは誰かに頼むけれど、自分一人で何とかして取らなくてはいけないかもしれない。時間を確認して、ひとりで鍵を閉めて習い事に出かけなければならないかもしれない。
 たとえば、雪国スクール。バカンスではないですから、友達同士の参加ではないのです。友だちになるには、自分から声をかけなければならない。ひとりで鞄の中から、今必要なものを探し出さなければならない。自分で片づけて、失くさずに物を管理しなければならない。時間が決まっていて、みんなのスケジュールは待ってくれないのだから、だらだらゆっくり食べているわけにはいかない。意見を言い合った結果、たとえそれが自分のやりたかったこととは違うかもしれないけれど、気持ちに折り合いをつけて、「切り替えて楽しむ」ことができないと、泣いていたって誰も楽しい気持ちにはならない。そんなことを、年上の先輩に教わるかもしれないし、自分で納得して解決していくかもしれない。
 そこに、大人が、手を出しすぎない。
 そのことが、本当の意味での「よりよい環境」を作り出すことになるのです。「もめごとは肥やし」は同義です。
 私が新人講師に、最初に教えること第一位の「花まる哲学実践編」は、実はとても簡単そうで、できる人が少ない、「自分でやらせてあげてください」です。子どもたちと関わることが大好きで、花まるの講師をわざわざ選ぶ彼らにとって、「やってあげよう、助けてあげよう、教えてあげよう」という気持ちは、自然すぎて自覚すらしづらいことなのです。
 もしも大人が手を貸せば、2秒早くできることかもしれない。でもその2秒は、彼らにとっての「成長の機会」、もう一歩先のハードルを乗り越える、「よりよい環境」を奪うことになるのです。
 落としたものを拾う、自分で必要なものを探し出す、傘をひとりでたたむ、大人の人には「お願いします」と言える、困った時には何とか自分で説明しようとする、お友達には「ありがとう」と言える…かどうかは、その瞬間の“少し待つ”ことの積み重ねだけで、できるようになっていくのです。より上手に、より当たり前に、より立派に、より早く、できるようになっていく。そのためには、手を出しすぎないことが、もっとも重要なことなのです。
 当たり前のように、いつも大人たちに用意してもらい、大人の意見をまず聞いてから、そして手助けしてもらって生きてきた経験しかなかった子どもたちにとって、私の「自分でやってごらん」の一言は、びっくりする言葉のようです。しかし一瞬目を丸くした後、自分の手で時間がかかってもできたときには、必ずどうだ、と胸をはって見せてくれます。表情が段々と変わっていき、自分で決めていいのだ、ということに気付き始める子もいます。それをきっかけに、生き生きと想像力豊かに自分の人生を主体的に生き始めます。本当はどの子も、自分でできたときの喜びを体験したいのです。それを奪っているのは、我々大人ではないだろうかと、思わずにはいられません。
 ちなみに私の古い記憶を紐解くと、いつも留守番時代のことが蘇ってきます。あるとき妹に髪を切ってとせがまれ、何度もそれはやめたほうがいいと拒否したが根負けし、当時3歳の妹の前髪は、まゆ毛のずっと上のほうで、ナナメに切りそろえられました。「ああ~だからあんなにダメって言ったやん…」という胸中の叫びは、帰宅した大人たちに全く届きませんでした。しかし妹はこれがお気に召し、「すっごくかわいく切ってもらったお姉ちゃんに!」と近所中にふれまわったおかげで、さらに多くの大人たちにもツッコミを入れられる始末。またある時には、お腹がすいたと言い出した妹に「じゃあこれからお姉ちゃんとピクニックごっこをしよう。一番好きなお弁当箱を探してきていいよ。」と言い、通称「じゃこごまご飯」をつつんで2階へ。シーツを広げて両親の寝室でピクニックごっこをしながら、ごはん食べちゃったなあと長女らしい心配も。きっと妹は今でも知らないはずです。ちょっと困った状況を、いかに面白いことに転換して(泣かせないで)乗り切るか、はあのときのお留守番で身についたと今ではその数々の経験を、誇らしく思う、私です。