花まる通信 『「母」という舟』

『「母」という舟』2015年4月

以前、ニュージーランドで開催されたフルマラソンのレースに参加したことがありました。私は以前から走ることが好きで、一人旅も兼ねて、多いときには1年で5つのレースに参加したほどです。そのニュージーランドのレースは、南半球で最も古い歴史を持つもの。スタート前には原住民のマオリ族による応援の儀式もあり、国籍の違う人たちとも「走る」ことを通してつながることもでき、自分にとって非常に思い出深い体験となりました。しかし……。
 一週間の滞在を経て帰国し、実家に帰ったときのこと。「ただいま」と言ってドアを開けると、なぜか玄関には茫然とした表情で立っている母の姿が。一言もしゃべらず、放心したように私を見ています。
 そして次の瞬間、母は突然「わっ」と泣き叫んでその場にかがみこんでしまいました。突然のことに私は驚いて母に尋ねました。「ど、どうしたの? 何かあったの?」
すると、母はこう言いました。
「だって、あんたが向こうに行っている間、毎晩毎晩あんたが死んじゃう夢ばっかり見てたんだよ! 1日目は、あんたが飛行機事故で死んじゃう夢見るし、2日目は向こうの物盗りに襲われて死んじゃう夢見るし、3日目は羊の大群に踏みつぶされて死んじゃう夢見るし―。」
「羊の大群」というのは、「ニュージーランドに行った」ことからの連想でしょう。今となっては笑い話になっているこのエピソードですが、やはり母というものは、子どもが何歳になっても常に心配してしまうものだと改めて感じました。
 そしてふと、私が5歳の時に大けがをしたときのことを思い出しました。私が兄と家の外の道路で遊んでいたとき、ふとしたはずみで転んでしまい、道路に落ちていた釘が上唇に刺さってしまいました。痛さと流れ落ちる血の恐怖で私は泣き叫びました。兄がすぐに母を呼んできて、私は病院で治療を受けました。4針を縫う、子どもにとってはかなり大きな治療。幸い傷は治ったものの、その痕は今でも残っています。
 後から聞いた話ですが、「後々まで傷跡が残るかもしれない」と医者から言われたとき、母はその場で大声をあげて泣き崩れてしまったそうです。我が子が傷ついたら、我が身も削られる思いがする。そのことを言葉だけでなく、ひたひたと身に染みる切なさとして理解し、頭を垂れることができるようになったのは、自分がかなり大人になってからでした。

「母と舟」と題された、吉野弘の詩があります。

母は舟の一族だろうか
 心もちかたむいているのは
 どんな荷物を積みすぎているせいか

「母」と「舟」は字の形も似ていて、一族のようなものである。しかし、母=親が背負っている、舟の積み荷よりも重いもの。一人の子どもを大人になるまで育てていくことの不安や心配は、簡単に言葉で言い表せるものではありません。
 無事に大きくなってくれるだろうか? 今のままの育て方でいいのだろうか? 勉強や運動は大丈夫だろうか?
 本当に日々新たな心配が出てきて、時にはその重さで「傾いて」しまいそうになることもあるかと思います。

「私たちがどこに進もうと、ちゃんと道はある」、「あなたはどこに行っても幸せになれるよ」。
 これは、子育てに悩んでいたあるお母様が、日々子どもにかけ続けることによって気持ちが前向きになれたという言葉です。ただ一つの解答がない子育ては、悩みながらも未知の世界へと進む「地図のない旅」のようなもの。先が分からない不安はありつつも、子どもの成長を信じ、そのプロセス自体を一緒に楽しんでしまうということ。
 そして、その「旅」の途中でどうしても心配なこと、不安なことが出てきて迷いそうになったら、いつでもご相談ください。子どもたちの「よき成長」のために、全力で応援してまいります。

最後に、子どもの作った詩を集めた『おひさまのかけら』(中央公論新社)という本から、『いたそうね』と題された詩を紹介します。どんな子どもにも他人の気持ちを想像する力があると感じられ、成長が楽しみに思える詩です。

ぼくが くりのいがいがを 手でもったら  
 とても いたかったよって ママに話したら
 ママが いたそうねって 顔をしかめた
 ママってかわいそうだね  
 おはなしをきいただけで いたくなるなんて

平沼 純