Rinコラム 『うまくやりたい気持ちに寄り添う』

『うまくやりたい気持ちに寄り添う』2015年4月

「タケノコシートの内容についてお話すると、「うん、がんばる」との答えが返ってきました。そのあともう一度「何をがんばるんだっけ?」と聞くと、「先生のお話を聞くときは、姿勢をピンとして、手はおひざにのせるんだよ。あとね、○とか書くときは、テキパキテキパキするの」と言われたことを理解しているようでした。」
 ああ、タケノコシートを、結果だけ見て「いい、悪い」というような、評価として決めつける捉え方ではなく、PDCA(プラン→ドゥ→チェック→アクション)に落とし込んで、わかるように伝えてあげてくださったのだな。それこそ、私たちが保護者の皆様と共有していきたい心構えなのだ、そのことがちゃんと伝わった、嬉しいな、さすが花まる親子だな。と笑みがこぼれました。
 同じお母さんに、このことをコラムに書きたいのだと連絡した際のお返事はこうでした。「朝起きると「昨日花まるで、三角のパズル上手に出来て、りん先生にポイントもらったんだ♡」と嬉しそうに教えてくれました!朝もまた、そのパズルに取り組んでいました。タケノコシート、◎はおひさまだ、と家では言っています^^」というお返事が返ってきました。
 どの子にも「もっとうまくやりたい」気持ちがあって、その気持ちに上手に寄り添ってあげられるかどうか、は子どもたちの生き方に大きく影響を与えるものです。子どもたちの人生に、寄り添う、とはどういうことでしょうか。答えは、お母さんたちから日々もらう、連絡帳の中にありました。
 「先週いただいた「ろうそく」は宝物になったようです。週末はずーっと手に持っていました。ご飯を食べるときは自分の席のそばに置いていました。寝るときは「割れちゃうかもよ」と言ったら、大事そうに箱にしまっていました。花まるでやったことをもう一度やりたいわけでもなく、ただ持っていたいんだそうです」(年中母)お母さんとしては、なぜやらないの?という気持ちがあるかもしれませんが、彼女にとってそれだけ感動した思考実験の内容を、きっと頭の中で繰り返し反芻しているはずの行動です。そうやって物事を吸収していく子もいるのですね。
 「(ネタが多すぎて先週うっかり書き忘れました)この冬は早くからインフルエンザが流行しましたが元気に過ごしていました。夕方迎えに行くと私の姿を見つけると「あ…お…か…ぁさん…」ガラガラ声でかすれているので、「やだ!とうとう来たか?喉痛いの?」と尋ねると「痛くないよ」「えーすごい声になっちゃったねぇ。どうしたの?」「あ~久しぶりにみんなに会って喋りすぎたかなあ」・・・どこの同窓会帰りのオバちゃんよ?(笑)それから数日間、毎日夕方になるとダミ声の娘でした」(年長母)
 「ペンで姉の鉛筆に名前を書いていると、娘が、「ママのことゆるさないから~」「えっママ何か悪いことしたぁ?」すると姉が「違うよ!ペン使っているから、ママのこと、ゆらさない、って言ってるんだよ」と、通訳してくれました。別の日、ミニトマトを嬉しそうに食べながら「ハテとらなきゃね」と言う娘。ヘタではなく、ハテと覚えていたようです。笑。今週、一筆書きで星が書けるようになり、嬉しそうでした」(年中母)
 「先日、上の子の小学校の用事で学校へ行くため、娘の登園がいつもより遅くなりました。朝、ママと娘でゆっくりして楽しめたのはよかったのですが、保育園に行ったところ、娘の組はお散歩に出かけており、誰もいませんでした。大好きなお散歩に行きそびれ、泣いてしまうかなと申し訳なく思っていると、娘は「大丈夫~ほかの組で待ってる」と笑顔でした。娘のハートの強さとやさしさに、感謝した出来事でした」(年中母)お母さんが、娘に対して対等な気持ちで「申し訳なく」思ったり「感謝した」りできる方だからこそ、彼女も人の気持ちを汲み取って、「大丈夫」と言える子に成長したのでしょう。
 「先週は先生の歌声を楽しませていただいた後、根津神社で亀も見て、根津のたい焼きを食べながら谷中銀座まで歩きました。焼き鳥を食べながら散策、日暮里まで歩いて電車に乗って帰りました。さすがに歩き疲れたらしく「足がじんじんする~」と言っていました。私も次の日の仕事が重く、朝も早い仕事だったので、南浦和に着くと急に、ごはん早く食べさせて、お弁当の準備して寝かせないと…とブルーモードになってきたのですが、その時娘が突然「あしたあさってしあさって きっときょうよりいいひがくるよ」と言い出すのでびっくり!花まるで習ったと後から聞いたのですが、とても癒される、元気が出る一言でした。夫がいなくて、疲れる休日だなと思っていたのですが、三人でとても楽しい休日となりました♡」
 「いい悪い」だけに注目される価値観のもとで育った子は、本当の自分に向き合えず、よく見せよう、ごまかそうとする子になります。自己肯定感を抱けないことの哀しさは、人生のどの岐路に立った時も人のせいにして、他者をも尊重できず、自分の人生に責任を持てない人になってしまうということです。
 子どもたちの気持ちに寄り添う。それは、一個の人間として彼らを見つめ、見守り、こうやって日々の生活の中でお互いの感情を認め続けることなのだな(それがネタだったとしても)。とまたしても花まるのお母さんたちから教えられました。これらの連絡帳ネタは少なくとも私を、しあわせにしています。
 
レロ由実