松島コラム 『リベンジ受験』

『リベンジ受験』 2015年4月

2015年の春、12歳、15歳、18歳のそれぞれの挑戦が全国のいたるところで行われた。残念ながら不本意な結果に終わった若者もいただろう。しかし、この先いくらでも取り返すチャンスはある。とりわけ、大学受験においては進学した中学や高校によって何かが大きく決まるわけではない。高校3年間という時間がいろいろな可能性を広げてくれる。学校の授業で物足りなければそれを補う選択肢が世の中にはたくさんある。
 ずいぶん昔の話になるが、大手進学塾で指導していたころ、一人の男の子が小4から受験コースに入塾してきた。素直で優しい、ちょっと奥手の小柄の少年だった。最初は楽しく通塾できていたのだが、学習内容が難しくなるにつれ、宿題がやりきれなくなり、お腹が痛い、頭が痛い、気持ち悪いという理由での欠席が続くようになった。一つひとつの取り組みのスピードが遅く、授業を聴いているのが精一杯で板書を写すこともままならない。ノートもグチャグチャだった。それでも授業が始まると健気に頑張ろうとしていた様子は、自分のために、というよりも親のために勉強しているように見えた。私は普段の授業を受け持っていなかったが、特訓授業などで時々指導する機会があり、6年生のときには進路指導を担当した。
 もともとの能力は高いように見えたが、同学年の子に比べて幼く、受験勉強を乗り越えるだけの学力、体力、精神力がまだ十分ではなかった。そういう場合でも、6年生の後半でグーンと伸びて受験を突破してしまう子もいる。彼の場合、じっくり育てていけば、伸びる時期が必ず来ることが想像できたが、残念ながら受験までに間に合わなかった。
 母親の希望は高く、第3志望でさえチャレンジ校だったのだが、志望校を頑なに変えなかった。最終的には、その第3志望に3度挑戦しても届かず、最初に受けた第4志望と、押さえとして受けた第5志望に受かっただけだった。受験が終わった時、母親は電話口で号泣していた。こういうときの電話がいちばん辛い。今の悲しみを受け止めることは大事だが、彼にはまだまだ先がある。今の絶望ではなく、未来の希望に向かって進んでほしい。そのためには、合格した2校のうち、どちらに進むかを決めなければならない。それとも公立に行くのか。私は意を決して進学先について切り出した。「第5志望校に進学したほうがいいと思います。」母親は無言だった。普通は偏差値の高い第4志望校を選ぶだろう。そちらのほうが知名度も高い。彼の学力にも合っている。しかし、私は、彼が伸びるためにという視点で第5志望校を薦めた。最大の理由は男子校であること。彼は幼いし、この先も同学年の女子に気圧されて、のびのびとした学校生活を送れない可能性がある。6年間通うなら別学の方がいい。この学校なら同じタイプの子もいて友達もすぐにできるだろう。また、高校受験の偏差値は高く、優秀な外進生が入ってきて刺激になる。高2までは切れ目ない一貫教育でじっくり取り組める。入学時の偏差値は40台だが、面倒見も良く、あと伸びする子にとっては良い環境が整っていると感じていた。両親にとっては、上位の志望校に目が向いていたためか、今となってはどちらにするか、決定的な判断材料がなかったのかもしれない。最終的には翌日の面談で私が薦める学校に進学することになった。
 進学後中2まではなかなか芽が出なかったようだが、受験時には上位で入学していたはずなので、あまり勉強しなくても成績は平均よりも上だった。中3のとき、母親から「学年で3番になりました。」という嬉しい報告があった。そして、目覚めたように、「絶対に一番になる。」と勉強を始めたという。これまでになく自分で机に向かって黙々と励んでいる姿に、思わず電話をしてしまったということだった。「とうとう来たかな。」と思った。勉強に余裕がある分、運動部に入ってしごかれたおかげで、ひ弱だった体もたくましくなってきたという。自立心と体力が備われば、これからグングン伸びていく。私立、公立に関わらず、遅咲きの子が中3くらいに急に伸びてくるケースはよくあることだ。その後、彼は学年一位をライバルと競いながら、学業と部活を両立させ充実した高校生活を送っていった。そして大学受験では最難関大学に複数合格を果たし、学校からも表彰された。
 大学進学後、久しぶりに塾にやってきた彼に向かって、「リベンジしたね。」と声をかけると、「あっ、そういえばそうなりますかね。でも、僕、中学受験で落ちた時はとくに悔しくなかったんです。よく覚えていないというのが正直なところです。入学してから自分の学校のレベルを知って、このままじゃいけないな、と思い始めたときにたまたま勉強が面白くなったんです。学校は楽しかったですよ。友達もいっぱいもできて、尊敬できる先生も多かった。部活で鍛えられて体も丈夫になったので、最近はお腹が痛くなることもなくなりました。」と笑って話してくれた。「当時はよくわからなかったんですけど、受験してあの学校に入ってほんとうによかったです。大学でできた友達には有名校の出身者がたくさんいますけど、結局あまり変わらなかったということですかね。」
 もし彼が中学受験をしていなかったら、あるいは進学先を偏差値だけで決めていたら、同じ結果になっていたかどうかはわからない。しかし、少なくとも受験がゴールではないことは確かである。そしてこの先もまだまだ人生は続いていく。
「これからは自分の磨き方次第ですね。」と、彼はすでに先を見ていた。
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