高濱コラム 『「家族で読書」のすすめ』

『「家族で読書」のすすめ』2015年5月

 佐賀県の官民一体型小学校「武雄花まる学園」2校が、開校しました。端緒をつけた樋渡前市長が、「市長時代にやったことのうち(病院改革にせよ、図書館改革にせよ)他のは改革だったが、これは革命だ」と述べた通り、鮮烈な決断でした。
 名乗り出て常駐を決めた花まるの社員が、職員室のど真ん中に机を与えられているのを見て、一つの壁を突破したんだなあと感慨を禁じ得ませんでした。
 文科省での記者会見から一年。意外だったのは、全国の先生で好意的に捉えてくださる方が、たくさんいらっしゃったことです。他県での先生たちの研修会や、全国の教育長さんを集めた場など、学校関係者向けの講演会も増えました。そして、総じて好意的な感想をいただきました。
 また、嬉しかったのは、地域の方々の積極的な応援です。半年間モデル校であった武内小学校では、朝のモジュール授業(花まるタイム)のために、地域支援員として、なんと100名を超える方々が登録し、実際に丸つけ応援に入ってくださっているのです。また、近くの保育園の園長も「小学校が変わるのだから、我々も方向性を共有したい」と、東京での4か月間の花まる新入社員研修に、職員を派遣してくださいました。
 さらに驚いたのは、まだこれから始まる段階なのに、各地から移住してこられたご家族が4組もいるということでした。開校式では3組のお母さんが「ニュースで見てこれだ!と即決した」など、嬉しくも身がひきしまる期待の言葉を語ってくださいました。
これらの好意や応援や期待を裏切るわけにはいきません。この温かい風が吹き続けるように、一歩一歩信頼を積み重ねていきたいと思います。何度も重い扉が立ちはだかるかもしれませんが、追い風を支えにがんばりたいと思います。ご支援、よろしくお願いいたします。
 
 さて、先日「子どもが読書に夢中になる魔法の授業(ドナリン・ミラー)」という翻訳本の解説を頼まれました。クラス全員を読書好きにさせた先生の指導法です。現実の子どもたちを知る身としては、最初は「全員?本当に?」という気持ちになりました。しかも6年生段階で目標が年間40冊と書いてあって、「全然たいしたことないじゃないか。一冊200ページとして8000ページ。花まるには小1で1万ページ以上読む子が、ザラにいるんですけど」と思いました。
 しかし読み進めるうちに、これは公立学校の国語教育を根本から変える可能性を持った教育手法だなと感じ始めました。第一に、花まるは結局は経済的に豊かで、保護者の意識も高い家庭ばかりであるのに対し、アメリカの普通の公立小学校で、学力差も生活背景も本当に様々な子が対象なのに、みんなを本好きにさせている点。
 第二にその方法論が、現場感にあふれた納得できるものだったことです。それは「コロンブスの卵」そのもの。それもありかもと誰もが思いつつ踏み出せないもの、つまり「授業をしない」という選択だったのです。彼女は、ワークショップ形式で、基本は「ただみんなで本を読む」という方法をとったのです。長文を切り取った教科書やプリントを見せられて、設問があってそれに「正しく」答えるための、「解の導き方」を説明されて、本好きになる子がいるだろうか、いやいない。ところが世界中でこういう授業形式が疑いもなく繰り広げられている。一番大事なのは、その子が本当に心から本好きになるということだという主張は、誰も逆らえないのではないでしょうか。もちろん、彼女も全国学力テストの 前にはそうしているように、テスト対策として、設問への答え方を学ぶことは必要でしょうが、「たまーにワークショップ形式」ではなく、圧倒的力点をワークショップにおいているのは、画期的です。
 ところで、この本を読んですごいなと感心したのは、自分が本好きになった歴史を読み当てられているようだったことです。私は、2歳上の超のつく読書好きの姉のもと、言葉を知らないとからかわれながら育ちました。「人と比べて自信をなくす」最初の落とし穴。まったくもって真実とはかけ離れているのだが、人の心をへたすると一生束縛してしまう魔物、それはコンプレックスです。私は「本を読むのは苦手」「国語は苦手」と、自分で自分を縛り上げてしまいました。
 だから、小学生時代の国語の思い出はいいものがありません。物語なんて「誰が誰と何しようと興味ないし」と思っていたし、授業形式の「読み取りなさい」もまったく納得していませんでした。「このときの気持ちを選びなさい」という四択問題なども、「だって人は本心を書くとは限らないでしょう!意味ねー!」と思っていました。
 中でも地獄と呼んでよかったのが、夏休みの「読書感想文」の宿題です。毎年、8月31日に半泣きになりながら筆が進まず、いつもの就寝時間をずいぶんすぎてようやく目次だけ確認して適当なことを書いて「面白かったです」と書いていました。
 どこでこのひねくれた根性が変わったかというと、思春期です。体も心も変わってきたときに、母親の干渉に自分でも驚くくらいイラッとする。そんなとき、年上の従兄に薦められて読んだ北山修の本に、聞きたかった言葉がありました。「あれ?本って面白いかも」と、壁にひびが入った瞬間です。そして大きな転機は筒井康隆の文庫本によってもたらされました。絶対に学校の授業で扱う内容ではありませんでしたが、のめりこみました。ちょうど成績は崖から落ちるように下降してこれ以上下がる場所のないくらいで、そもそも浪人を前提にしていたので、授業中机の下に隠して笑いをこらえながら筒井大先生を読みふけりました。本当の没入時代の到来です。それからは、もともと凝り性ではあったので、 借金を支払う勢いで古今の名作を次から次と読み漁りました。気づけば本はどんなに忙しくても手放せない心の友となり、今や、ビジネス誌で書評まで書いています。
 この成長物語が、彼女が指摘している通りなのです。何らかの原因でコンプレックスになると、やっかいである。それを打ち破るには、評価されたりしない環境で、まずは「自分の好きな本」と出会うこと。成功体験です。そして、「それは少しくらいいかがわしくてもいい」というのが、本物の現場感だなと共感します。本人が主体的に心から本好きにさえなれば、あとは自動していくのです。

 今の学校システムでは、先生がやりたくても周りが許さないでしょう。近著「メシが食える教育「官民一体校」の挑戦(角川新書)」でも書いた通り、最終的には先生の仕事を、要は子どもたちに実力がつけばいいという「結果責任制」にして、授業そのものは自由にやってよい、となれば、このような力ある指導方法は、たちまち広がるようになるでしょう。しかし、まだまだ道は遠い。わが子は大人になってしまいます。それならば、お母さんお父さん、家庭でやってはどうでしょうか。ゴールデンウイークはチャンスですね。家族で2時間いや1時間でもいい、全員がもれなく一緒に読書をするのです。大人自身が「ロールモデル=読書にのめり込む人」を見せることが大切とのこと。本当にそうだと思います。    

花まる学習会代表 高濱正伸