高濱コラム 『IT革命進行下の子育て』

『IT革命進行下の子育て』2016年2月

 正月早々、中高一貫進学校の尊敬する先生から、面白いエピソードを教えてもらいました。サッカー部の顧問である彼が、あるとき3人の中学2年生と話をしていて、何か大好きなものはあるかという話題になった。A君は幼い時から図鑑ばかり見ていた生物マニア。B君はとにかく歴史が好きで好きでたまらない歴史オタク君。C君は「やっぱゲームは面白いっすよ」と言い切り、部活が無ければ何時間でもやってしまうくらいのゲーム大好き君。そこで、先生は、思いついてある質問をした。「もしも、私が魔法をかけて、今ものすごく好きって思っていることを、全く好きでなくしてしまうとしたら、かけてもらいたい?」と。すると、A君もB君も「かけてほしくない」と言ったのに対し、C君は「かけてほしい」と答えたそうです。
 つまり、ゲームは楽しいけれど、その後味は決して褒められたものではないことを、青年は分かっているということです。分かっているけれどある種の快感があってやめられない。いわゆる中毒です。私が長い間、ゲームを小学生にやらせるべきでないと言い切ってきたのは、それが暴力性のあるゲームだと暴力的な人になるというような話ではなく、私が見た社会的ひきこもり状態になった人(ほとんどが男性)たちの多くが、テレビ・ゲーム・インターネットなど画面が相手をする状態から、抜けられなかったからです。つまり直観的に、ここにはいけないものがあるということを肌感覚で感じたからです。
 一番大切なのは、人間と人間の関わりの力を伸ばすための、ゴニョゴニョ揉み合うスキンシップやケンカや仲直りをたくさん経験することだし、人間力が伸びるかけがえのない数年間に、多くの時間を画面に剥奪されてしまうことは、悲劇である。大自然や人の気持ちをたくさん感じ、心を動かされる原体験こそを豊富に与えるべきだ。その筆頭は外遊びである、と訴えてきました。

 言い始めて20年。世の中はすっかり変わりました。IT革命と呼ぶにふさわしい社会の変貌が確かに進行しています。今やゲームというよりはスマホとどう付き合わせるべきかということが、喫緊の課題でしょう。電車に乗れば、向かいのシートは寝ている人以外は全員タブレットを含む画面を見ていることなどザラ。15年前は、私と話をしながら携帯をいじっている若手を、叱責していましたが、今や会議中であろうと、つい画面を見てしまう人すらたくさんいます。かく言う私自身が、年末年始に、せっかく夫婦で旅先で会話をしている最中に、いつのまにかスマホを手にとっている自分に気づきました。緊急性もなく必要などないのに。相当数の人にも共通する、新しい症状名がついてもおかしくない行動です。
 なぜ心をスマホに奪われるのか。一つは、News Picksのコメント群に代表されるような、旧来のメディアを凌駕する見識と踏み込んだ意見など、面白いコンテンツが、あふれていること。もう一つは、LineやFace bookなどで「いいね」をされたり言葉をもらったりすることが、認められたい人間の根本的な喜びの一つだからでしょう。
 そんな風に、大人たち皆が大波にのまれ、常識や文化を変更させてしまった現代に、子どもたちに何をすべきでしょうか。
 一つは単に遠ざけるだけではなく、「画面との付き合い方」を示すこと。付き合うべき良質な部分は何かを見極め、選び抜いた教育コンテンツに触れさせることです。私は、小学生をゲーム中毒にさせないようにということと同時に、その優れた技術は教育にこそ利用すべきであると、講演会やコラムなどで再三発信してきました。何問でもできる。個別に能力に応じて問題を提供できる。立体の裏側をすぐに回転させて見せるような、紙面ではできないことができる。スピードがある。長期の時間軸で成績管理を完璧にできる…。そういう利点を判断した上で、有効で有望なコンピュータプログラムを選んで与えることです。
 もう一点は、あえて画面に全く触れさせない(触りたくても触れない)時間を、親として意識的に我が子に確保することです。
 ちょうど年始の海外視察で飛行機に7時間乗ったのですが、そもそも地上でのような連絡が取れない上に、ビデオシステムの調子が悪かったこともあって、本だけを読んでいました。すると、頭は回るしアイデアが噴出するのを味わいました。いわゆるデジタルデトックス(解毒)の効果でしょう。偉そうに書いている私こそ、ちょっとしたIT中毒状態だったし、解毒の効果をまざまざと感じたのです。

 花まるで言えば、毎週の授業にも人と人の触れ合いのテーマは、たっぷり盛り込んでいますが、雪国スクールやサマースクールは、最高の場でしょう。携帯・タブレットは疎か、テレビすら見られない状態で、友だち申し込み無しで生活と遊びを共にして2泊なり3泊を過ごすのです。
 普段の授業もそうですが、人が集まって、班やグループを作り、人が横について認めたり声かけしたり頭をなでたりし、「できた!」と一斉発声で心を合わせ、意見を交わし合う。これらは、社会的引きこもりの子たちに何が足りないのかを考えたことをきっかけに、直観に従い独自に積み上げたコンテンツですが、AI(人工知能)が人間の仕事をほとんど奪うであろうし、残るのは人と人のコミュニケーションやリーダーシップやイノベーションの仕事だろうと言われている今、果たす役割は増すばかりだと感じています。本年も、若い仲間たちと邁進します。

 親御さんにお願いしたいのは、冒頭の事例に見られるA君やB君のように、深い充実感を伴う「大好きなこと」や「のめり込めること」を、子どもたちがつかめるような経験の機会を与えようと心がけてほしいということです。石ではなく玉を与える。それは音楽でも読書でも囲碁でも創作でもなんでもよいでしょう。一人の大人として信じられるものを。私たちも、その方針を共有し、本物を感じ本物の喜びを得られるような体験の場を、たくさん提供していきます。

花まる学習会代表 高濱正伸