花まる教室長コラム 『水に流して、また笑い合う』

『水に流して、また笑い合う』2016年7月

三泊四日のサマースクールで出会った一人の少年。あどけない笑顔と小柄な体が印象的な三年生のM君。この班の中では一番年下であったが、皆とも打ち解けて楽しんでいるようだ。行きの車中も川遊びの最中でも班の子とアニメの話か何かで盛り上がっている。しかし夕食前に事件は起きた。何やら大きな声がしたので様子を見に行くと、班のリーダーは、嗚咽をあげ怒り荒れるM君を押さえているではないか。ただ事ではない様子にリーダーからM君を引き取り、少々強引に別の部屋に連れて行く。すると勢いを増して「あいつらを全員殴る!」「どけ!」「邪魔するな!」と叫び続ける。状況が分からなかったので理由を聞いてみるものの、答えてくれない。ヒートアップしてしまい周りが見えていないのか。と思うと「何も知らないくせに邪魔すんじゃねえ!」と冷静な一面も見せる…。なぜこの子はこんなにも怒っているのだろう。なぜこんなにもひどい言葉が口から出てくるのだろう。心の中を理解してあげたいが、なかなかきっかけがつかめない。エスカレートしていく感情は留まることを知らず、気がつけば怒りの矛先は私に変わっていった。私の制止を振り切るための手は、いつしか私の胸や腹を殴るための武器になっている。しまいには顔にも拳を向けてきた。ただ私も「ここは勝負所」と腹を括り、一歩も引かない。そこからしばらく暴れ続け、20分は経った頃だろう。息があがり、体中汗だくで、かなり疲れも見えてきた。班の子どもへの怒りをひとしきり発散しきったところで、もう一度話を聞く。まだここで続けるか、班に戻るか。するとこんな言葉が返ってきた。
「もう、こうなったら誰も許してくれないんだよ!!」
 なんて重い言葉を吐きだすのだろう。こうなったのは初めてではなかったのだ。この先に迎えうる結末を知らなければ出ない言葉。この子は今までどれほど「上手くいかない事」の苦しみを抱えながら生きてきたのだろうと考えると私の胸は締めつけられた。
 それからポツリポツリと出てくるM君の本当の気持ち。
「仲良くなりたいけどいつも怒っちゃう。そうすると殴りたくなっちゃう」
「大人は僕が悪いって決めつける」
「もうみんな僕のことを嫌いだから戻れない」
うつむいたまま絞り出すように、そんな言葉が床にこぼれ落ちる。
 大人ですら恐れを覚えるほど暴れていたM君は、実は自分自身がまた傷つくことを恐れていたのだと気づかされた。
 今までの経験の中で「受け入れてもらえなかった」ことへの恐れが彼を追い込み、何かのきっかけで、自分を信じてくれないと判断した時にタガが外れ同じことを繰り返してきたのだろう。自分を守るために。
 落ち着いたところで腰を掛け班の仲間の話をしてみると、どうやら気が合う子もいるみたいだ。しかし班の皆のところに戻りたい気持ちはあるものの、自分のことを嫌いになっているのではないかという不安でどうにも身動きが取れない。M君の気持ちがとてもよく分かる。初めて感情の先に言葉を紡いだのだろう。そして本当の自分の気持ちに気がつき、冷静になれた。だから、心が繊細になり怖さが先行する。
 さて、M君が私に連れられて行った後、班の子どもたちはどうしていたか。リーダーに様子を聞くと「Mは怒ったら怖いけど全然嫌いじゃないよ!」とのこと。何のわだかまりも、何のためらいも、何の偽りもない正直なこの言葉が出てくる。それを、あえてそのまま、何の脚色もせずM君に伝えると、力なくなっていたM君の目に少しだけ力が戻った気がした。それを機に一緒に班の皆のところに戻ると、「何してたんだよー!遅いよー!」とまるでさっきのことがなかったかのように皆はM君を輪に迎え入れている。

何が原因でM君がそうなったかを知ることなど本当は重要なことではないのかもしれません。どちらかが正しいことを証明し白黒つけて解決するよりも、何となく折り合いつけて自然に元に戻れることに長けていた方が幸せなことが多いと子どもたちに教えられた気がします。
 これが初日の夕方。この後もうまく感情がコントロールできないM君は何度か暴れ出しそうになりました。それでも行き過ぎないようにブレーキをかけようとする姿を期間中に幾度も目にしました。深呼吸したり、一度外に出て仕切り直したり。上手くいかないと暴力に頼ってしまう自分の弱さを戒めようと一生懸命。それだけ、同じ班で出会えた仲間が大切だったのではないでしょうか。そして迎えた最終日。楽しい思い出だけではなくM君というちょっとだけ感情をコントロールすることが苦手な子とともに、サマースクールを完走した班の皆の顔は晴れやかで、逞しさを感じさせてくれました。そしてM君が残した「大変だったけど楽しかった。またみんなと一緒になれるかな?」という言葉はずっと私の心に残っています。
 野外体験は、楽しいバカンスではありません。何が起こるか分かりません。誰と出会うか分かりません。決められた筋書きがないからこそ子どもたちで考える。偶然出会った子どもたちが、まだ見ぬ結末に向けて自分たちで物語を書き進めていくことこそがサマースクールの醍醐味の一つだと私は思います。
 それを見守る私たち大人の役目は何なのか。あれこれ口や手を出すことではなく、助けを求める心の声に耳を傾け、やり切れない気持ちを汲んであげ、その子が踏み出すきっかけを一緒に探してあげることなのだと思います。

数藤 雅也