西郡コラム 『一旦、去る』

『一旦、去る』 2016年11月

一泊二日の宿泊学習から帰ると、咳がひどく止まらず、呼吸も荒くなってきた。昨夜も宿泊先で呼吸が苦しくなり、咳き込む音で誰も起こさぬように、部屋を出て玄関口で収まるのを待った。しばらく辛抱すれば収まる、ここ一か月、この繰り返し。しかし、今日はなかなか収まらない。呼吸が浅く、息を大きく吸っても胸で押し返されて空気が入ってこない。苦しい、どうする、待つか、病院へ行くか。今日の呼吸困難は限界かもしれない。タクシーを呼んで夜間診察の病院に行った。
 病院では緊急医療体制をとられ、呼吸器、点滴をつけ、尿も垂れ流し。心電図、心臓エコーの検査を行い、即、心臓の専門がある隣市の医療センターに救急車で搬送された。鼻から呼吸器をつけ酸素を入れても息が苦しい、酸素が入ってこない。救急車内で、ピーピーと心電図の波形を描く音を聞きながら、波形ができているうちは、ピー、ピーの音が聞こえるうちは、まだ生きている。この時は、死に臨する危機感、喪失感、絶望感もない。苦しむ自分を俯瞰して眺める意識はある。死はまだ遠い。緊急搬送され、家族を呼ばれる事実をつきつけられ、集中治療室に運ばれ、面会謝絶で絶対安静の処置、私は危ないのか。この状態で天井を見つめていると、すべてがなくなる、何もなくなり、残らない、ふと、居た堪れない気分に襲われ、ワーと大声を出して発狂したくなる。生まれて初めて死を意識した。
 病名は「急性心不全」。心臓の上部が動かず、三分の一しか機能していない。三つの主要な血管の一つが塞がっていて、自分自身で細々とした血管を作り、迂回させて血を通わせていた。昨日今日塞がったのではないから、急性でも、慢性でもなく、「陳旧心筋梗塞」。少し我慢をすれば元通りの生活が送れることで拗らせた。もっと早く診療を受けていればここまで重くならなかった。肺に水が溜まっていっていたことも呼吸を苦しくしている原因だった。腎臓や肝臓の数値もよくなく、心筋梗塞の治療に入るまで時間がかかった。結局、緊急入院から退院まで4週間かかった。
 入院中、武雄市長、教育長、校長、先生が見舞いに来てくれ、私に無理をさせたのでないかと心配してくれた。朝は早いが、学校は午後6時までには終わり、残業もたかが知れている。土、日曜日の地域行事、イベント(相撲大会、弁論大会、演劇大会等)も面白そう、興味があるから出かけてみただけで、無理して休日出勤で働いたわけではない。花まる、FC、道場と民間の立ち上げの多忙さからすれば、潰れない仕事(自治体)と潰れるかもしれない仕事(民間企業)とは質量とも違う。ここでは過労はない。心臓の疾患は不摂生、加齢、自業自得だ。
 公教育の正規の時間帯に「花まるタイム」「なぞぺー授業」「青空協室」の指導を行って1年半。先生も変わり、子どもたちの成長も目に見える。これほどの改革は全国的にない。皆さんの、私への見舞いは市に貢献した花まるへの感謝の証でもあった。
 まだまだ改革は続く。しかし、私はこれ以上迷惑をかけられない、一旦去る。感謝のみ。これから、先生が主体的にこの改革を推し進めることをできるかどうか。レールは敷いてある。

西郡学習道場代表 西郡文啓