Rinコラム 『色を感じる』

『色を感じる』2017年3月

子どもたちとともに創作をしてきて、その制作過程や作品に触れる中で、あらためて気づくことがいくつかあります。大人の私たちでも目についてわかりやすいものとして「色の選び方」があります。
 絵を描き始めると「なぜ青い色ばかり使うのだろう」「暗い色で描いているから心配」などと、保護者の方も、子どもたちの使う色には注意が向くようで、相談されることもあります。
 「お母さん、今日の服装のその色は、どうしてそれにしたのですか?」と聞くと、「好きな色だからこればっかりになってしまうんです」という方もいれば、「汚れが目立たない色がいいと思って」「今日はこれからお出かけなんで」など、オトナらしくTPOに応じた返答も多く聞かれます。TPOという概念も縛りもない世界に生きている子どもたちは、「今自分が触れたい、欲しい」色を直観的に選んでいます。自分を喜ばせるために。それは創作のときにも、服を選ぶときにも、まったく同じように表れます。
 先日、子どもたちとカラフルなパレットのようなたくさんの色の毛糸を使って作品制作をしました。自然物である木の枝と、いくつかの色を組み合わせて作るオブジェです。
 でき上がった作品だけでなく、子どもたちの創作過程を保護者の方に知ってもらうことがとても大切だと考えているので、創作中も一眼レフを手に子どもたちの様子を切り取り、その日のうちに活動報告としてウェブ上に掲載しています。制作過程の、何を大切にしているのか、子どもたちはどんなふうに自分と向き合ったのか、そこから見えてくるもの。
 記事を楽しみにしてくださる方も多く、読後の感想をいただくことも多くなりました。
 『先生がブログで「今日の洋服の色と同じ」と書いているくだりがありましたね。子どもの作品を見たときに、「どこかで見た組み合わせだよなー」と思ったんです。先生の文章を読んで「そうか!」と納得。いつも自分で服を選ぶのですが、あの日あまりにもモコモコ厚着だったので、「それだと作業しづらいよ」と私が言い、別の服にしたのですが、最初のモコモコの服のコーディネートだったのです。上下の服の色が作品の色と一緒でした。すごくビックリした出来事でした…』
 こういったことは、実は珍しいことではなく、よく起こることです。ただ、無意識下に、必要だから経ているプロセスですから、それを製作途中の段階で本人に気づかせたりすることは、あえてしません。
 私自身も子ども時代に、母が選ぶ服の色はどうしても着られなかったことや、一定期間ある色ばかり好み、あるときから突然別の色ばかり選ぶように変化する自分に気がついていました。目の前にある色が、内面の自分自身と合っているのかどうかを感じていたのです。
 今でも、作品制作をする中で、あるモチーフにとてもこだわり続けることがあり、何度も繰り返し出てくるものには意味や象徴するものが隠れていることに、後から気がつくこともあります。
 純粋な表現活動、創作の過程では、その子の成長のプロセスで今必要なことを、自然と癒す手立てのように、そのようなことが起こるのです。大人が、自分を大切にしていたら、波の音を聞きに海に行きたい、美しいものを見たり聞いたりしたい、ただおいしいものを食べたい…と自分が欲するものに気がつけることと同じように。
 意味を考えて過剰に心配する必要はありません。ただ生活そのものが、いつもアートであることを楽しんでみてください。自分自身やわが子をただありのままに受け止める手段として。私たち大人が、自分をあるがままに認めていることが、わが子を「自分とは違う別の人格を持った一個人」として、ありのままに受け止めるための大前提なのです。
 今朝着ていく洋服を選ぶとき、あなたは何色を手に取りましたか? 
 
RELLO 由実(Rin)