道場コラム 『期待通りじゃつまらない』

『期待通りじゃつまらない』 2019年6月

 親が子どもに対して、「こうあってほしい」と期待するのは当然のこと。しかし、その期待があまりにも子どもの実態からかけ離れた虚像を求めれば、子どもにとっては束縛でしかなく、不幸だ。親は自分でも気づかないうちに、成功している子どもの姿を思い描きすぎてしまう。子どもが親の期待から外れたとき、親はがっかりして、理想の子ども像と比較すると、落胆したり、蔑視したりする。実は、子どもはそれを敏感に感じ取る。そこで子どもは傷つき、ますます親の期待に囚われ、取り繕おうとする。あるいは、期待をはねのけようと反発的、反抗的になる。
 親は、自分の失敗を子どもに繰り返してほしくないと思う。受験に失敗した親や高学歴をとり逃した親ほど、教育熱は高い。また逆に、両親とも高学歴なのに、「なんでうちの息子はできないんですか」と嘆く親もいる。そうしたとき、私たちはいつも「子どもの実像を見てください」と伝える。「お母さん、お父さん、理想や他者との比較をせず、目の前のお子さんそのものを見てください。確実に頑張っています。確実に伸びています」と。伸びているところを探せば、必ずある。「伸びない子はいない」は、心情ではなく、実態だ。子どもからしてみれば、親が受験に失敗していようが成功していようが、それを基準にされるのであれば、たまったものではないだろう。そうした悪い意味での期待を、子どもは確実に感じている。
 大事なのは、自分の子どもそのものを見て、信じてあげることだ。「テストでよい点を取ってほしい」、「周囲の大人も認める行儀のよい子になってほしい」。子どもの実像を見ずに虚像を思い描いてしまうのは、親自身が見栄や世間体に囚われている。それを取り払い、あるがままの自分として子どもに向き合うことが大切だ。子どもを変えたいと思うのなら、親自身も変わらなければならない。
 親からの期待は、子どもにとって大きなモチベーションにもなる。その期待が、親の見栄ではなく、子どもに対する愛情に基づくものであるかどうかが重要だ。どこかからか借りてきたようなよい子像に、子どもを無理に当てはめようとするのではなく、今の子どもの実像に迫り、「ここがもっと伸びたら」と期待するほうが、子どもにとっても励みになるはずだ。
 親の期待を裏切ってでも、子どもが自分のやりたいことに向かっていくのであれば、それも大きな成長だ。反抗期は、成長へのエネルギーでもある。子どものやりたいようにさせた結果、子ども本人が進みたいと思う方向と、親が期待する方向がたまたま合致することもある。あくまで、たまたま。多くの場合は、親の期待と子どもの選択は違うものと思っていた方がいい。時代も変化している。「昔はこうだった」は通用しない。親の期待と違う道を歩むとも、子は親の背中を見ている。まねる、か、反発するか、どちらも自分の親が基準になる。自分自身が育ってきた過程を考えれば、そのことがよくわかるのではないだろうか。子どもが自分の期待通りに育つのと、親も想像しなかったような方法で自分の生き方を切り拓いていくのと、どちらも嬉しい。

西郡学習道場代表 西郡文啓