高濱コラム 『父』

『父』2018年6月

 花まる学習会は、今年から少年少女の全国囲碁大会である「ジュニア本因坊戦」を応援しています。第一回優勝者が、のちに七冠かつ国民栄誉賞を受賞することになる、当時小学3年生の井山裕太くんだったという由緒正しい大会です。もともと小学校の正課の授業として囲碁をみんなでやるようになれば、数理的思考力の全体平均が随分上がるのになと考えてきたということもあり、囲碁普及には一役買いたいと思っていました。
 藤井聡太という天才の出現で世は将棋ブームですし、将棋も素晴らしい知力増進のゲームとして好きなのですが、①将棋に負けないくらい論理的思考力を鍛える。②図形センスや視覚的な力も育てる。③常に数えているので、整数センスも磨ける。④王将を仕留めようという戦いではなく経済戦なので、経営者やリーダーに向いている(実際、有名経営者や政治家で囲碁好きは多い)。⑤国際的(将棋は国内のみだが、囲碁は世界中でやっている人がいる)。などの点を考慮して、囲碁を推奨してきました。
 さて、それやこれやで多くのプロ棋士の方と触れ合うようになったのですが、その中で元名人のAさん(井山七冠の数代前の名人)と仲良くなりました。最初は子育てや家庭の相談を受けていたのですが、一緒に飲むようにもなり、そこで田舎にいる私の父親の話になったのです。総合病院に勤めたあと、小さな医院を開業した父は、まじめで趣味も少なかったのですが、唯一囲碁だけは大好きでした。一時は医院の二階を碁会所にしていましたし(ご近所に住んでいたウッチャンのお父様も常連だったそうです)、年に一度、東京に出てきてプロの女流棋士と数局打つことを何よりの楽しみにしていました。それが、90歳で心臓の病になったのを機に旅行もできなくなり、医院も閉じて、最近はほぼ入院しているような状況でした。「まだ頭が何とかしっかりしているうちに、もう一度プロの方と打たせてあげたいんですよね」と言ったら、Aさんは「行きますよ、私」と即答してくれたのです。
 二人で飛行機とレンタカーを乗り継いで、実家に到着。この日のために病院から抜け出してきた父と対局してくれました。180㎝以上の長身で見上げるほどだった父は、今や背中も曲がり小さくなってしまいました。しかし、トップ棋士と打てると張り切っていたらしく、瞳はここ数年で見たことのないくらい光っていて、たくましかった頃の面影が見えました。5つ石を置くハンデ戦ではありますが、何度も長考しながら善戦し、ついに「一目差の勝利」を収めました。もちろん名人が上手に加減してくれたのでしょうが、勝利が確定したあとの父の顔ときたら、もう少年がカブトムシを捕まえたときのようなツヤツヤしたものでした。しばらく無言。そして抑えきれない喜びが溢れた笑顔での第一声は「まあまあでしたかね」。私を育てているときには、一度も見せたことがないような無邪気な歓喜の表情でした。それから「良かったー」「こぎゃん嬉しかこつはなか」と何度も何度もつぶやいていました。
 実は、私が幼い頃、父とは微妙な関係でした。戦前から戦中にかけて母子家庭で育てられた父は、自分の父親像がないために「どう育てていいのか、わからなかった」のだそうです。そのことを後から言われましたが、私は明らかに2歳下の弟の方がかわいいのだと感じていましたし、父の膝はいつも弟の特等席でした。さっさと卒業すればよいのに、小さい頃の思いは引きずるもので、これまで親孝行らしい親孝行はしたことがなかったのでした。今回、元名人のおかげで父の喜ぶ姿を見られて、少し肩の荷が下りました。ちなみに、帰りの飛行機で「お礼です」と包みを渡そうとしたら、「高濱さんの気持ちに感動して来たんだから、そんなことしないでください」と、Aさんは受け取ってくれませんでした。

 さて父親と言えば、昨年末にこんなことがありました。花まるの二期生の教え子でうちに就職している釣り好きの青年がいて、「昔はよく連れて行ったね」と釣り遠足の思い出を語るうちに、久々に行こうとなり、二人で出かけたのです。よく釣れる海辺の釣り場で、ある興味深い親子と出会いました。我々の真横にいたその親子は、本当に釣りが楽しくて仕方がないのが伝わってくる仲良しの父と息子で、やっている間中「これじゃ着底しちゃうかな」などと相談し続けていました。おもしろいことに、2メートルも離れていないのに我々はウミタナゴばかり、彼らはアジ(良いサイズでした)ばかり釣れるので、それに気づいたことをきっかけにお話しするようになりました。

 潮の流れや道具のことなどにとても詳しいので、ベテランに違いないと思っていたら、お父さん自身は4回目の海釣りだそうです。あまりに息子が釣りに連れて行ってくれとせがむので、本で勉強して行ってみたら、「釣れたときの、やつの胸いっぱいの表情に感動しましてね。さらに勉強して来るようになったんです」ということでした。長年、家族を見ていて、今の30代くらいから、こういうお父さんが増えてきたなと感じます。心の通じ合った一家なのでしょう。「お母さん喜ぶかな」と言いながら帰って行きました。

 さて、今、父親として、母親としてがんばっているみなさん。ご自身のお父さんはどんな方だったでしょうか。プレゼントを贈ろうという話ではありません。釣り場で出会ったお父さんのように、見返りなどは求めない、ただただわが子の笑顔を見たい無償の愛が基本で、特に贈り物が欲しいという気持ちもないのが大方の父でしょうし、遠くで(中には空から)「元気に過ごしていればいい」と願ってくれているのでしょう。ただ、せめて父の日には電話の一本でも入れるとか、「こんな父だったな」と思い出して心に描いてあげると、十分に嬉しいのではないでしょうか。

花まる学習会代表 高濱正伸