高濱コラム 『普通の子』

『普通の子』2018年7月

 5月27日、横浜アリーナにて、バスケットボールのBリーグの一部二部入れ替え最終戦が行われました。花まるグループの会員とそのご家族300名強に加え、弊社社員数十名で、声を枯らして熊本ヴォルターズを応援しました。一点を争うシーソーゲームで、最後の最後まで接戦でしたが、相手の富山グラウジーズに85対88で敗れました。
 思えば、二年前。熊本地震後、しばらくして、知人を通じてヴォルターズが困っていると知りました。本拠地である益城町の体育館が避難場所になっているだけではなく、練習場として使えるメドも立たず、選手たちは汗水たらして炊き出しなどのボランティアに参加して頑張っているが、このままだと潰れそうだとのことでした。ちょうどニュースで、サッカーチームのロアッソ熊本が、遠征先で敵サポーターから熱い応援をもらっている光景を見て、「これは力になるなぁ、地域スポーツっていいな」と感じていたので、即答で支援を申し出ました。義援金としてのお金も意味はあるけれど、地域スポーツを支えることで息の長い支援ができるし、みんなの心を鼓舞することができると考えたのです。
 一年目のシーズンは、最終戦で勝てばプレーオフ進出という試合で、あと10秒で一本入れられれば、というところまで行きながら、敗北。しかし、 5、000名近くの超満員の体育館の熱気を感じて、「ああ、ここに力点を置いて支援して本当に良かった」と思ったのでした。そして、今年はプレーオフに進出。最後の一戦までこぎつけながら、やはりあと一本の差で負けました。しかし、この応援を通じて、みんなで心を一つにして、ハラハラしながら声を合わせる、プロスポーツの空間の素晴らしさを感じました。
 来てくださったご家族のみなさま、本当にありがとうございました。またみんなで応援に行きましょう。

 さて、話は変わって、LGBTの問題です。ある著名評論家が同性愛をカミングアウトしました。彼女が一番売れっ子だった10年前は、どこか無理して論破してくる感じが好きになれないと感じていましたが、その強烈な印象があるからこそ、今回のニュースは驚きがありました。
 おもしろかったのは、自分の反応です。数十年前に、エルトン・ジョンが同様の告白をしたときには、彼の作る曲は最高に好きだったにも関わらず「とても受け入れられないな」「気持ち悪いな」と思う自分がいました。しかし2018年の今、彼女の告白を聞いて「ああ、言えて良かったね」と素直に共感する自分がいました。これは私個人の変化でもあり、時代の変容でもあるでしょう。いろいろな方々の地道な努力の積み重ねによって、我々の心・常識観が変わったということです。
 この件を持ち出したのは、「わが子がそうだったとしたら、受け入れられますか」ということを考えてほしいからです。ネットの情報によると13人に一人は実はLGBTの可能性があるということです。クラスに2~3人はいる勘定です。正確な数値はともかく、知らないだけで、多くの子は親を困らせたくなくて言うに言えないまま封印して生きているのです。その女性評論家がまさにそうおっしゃっていました。
 もう15年くらい前でしょうか、ある一人っ子の男の子のお母さんが私の教室に突然いらっしゃいました。元教え子ではありましたが、その教室出身ではなかったので疑問に思ったのですが、そのお母さんは泣きはらした目をしていて、尋常ではない雰囲気でした。授業後に「どうしたんですか」と聞くと、高校2年生の息子が前の晩「お母さん、実は僕ゲイなんだ」と告げたというのでした。続けて「嫌いになった?」と聞いてきたそうですが、ただもう絶句してしまったそうです。
 「誰にも言えなくて」と号泣。「何が悪かったんでしょうか」「ゲームばっかりやらせたからでしょうか」と、わが子が病気になった原因を探すようなことばかり繰り返して、一言で言えば錯乱状態でした。しかし、毎週、毒素を排出するようにお話を聞いていたら、3週間くらいすると、受け入れようという気持ちに変化していくのでした。
 多くの子育てを見ていると、振幅の差はあれど、このような局面はしばしば見られます。「わが子がみんなと違う」というときです。病気や障がいが見つかったとき、特別に何か(計算や文字)ができないとわかったときなどなど。まず人は「受容」で苦しみます。「いや、健常なんだけど個性が強いだけ」と思い込もうとしたり、普通側にいるように自分を言いくるめようとしたり…。かく言う私も、息子が脳性麻痺と判明したときには、「障碍者手帳なんていらないよね」と妻に言っていたものです。「あちら側」の烙印を押されることが認めきれなかったのです。
 やがて「あるがままのわが子」を受け入れる時期は来るのですが、今度はマイノリティであるがゆえに、「適切な対応」に困ります。今はそれでもネットに情報が溢れていますが、逆に「どれを信じればよいのか」と選別に困ってしまいます。やはり専門性のある相談できる一人を見つけ出すのが最良の道でしょう。
 そして最後に、「他人に言うかどうか」という選択を迫られます。私の息子の場合は明らかな肢体不自由でもあったので、そのままを受け入れてもらうしかなく、幸い最高の幼稚園に出逢えたこともあって(何と好きになってくれる女子が登場したのです)、本人も親も自信を持つことができ、健常の子たちと寝泊りするサマースクールにも、毎年行き続けていられます。
 かつては左利きですら、他人には言えないことだったと聞くと今の若い人は驚くでしょう。身近にもいますが、昔はこっそり親が矯正して本人にすら気づかせないようにしていたのです。つまり、左利きは「普通でない」とみなされていたのです。
 「普通」は所詮、心に描く幻想。一億人の心の全体である「心模様」は、真実ではなく天気のように変化するものです。封印したりせず、あるがままの自分を伝えられる子が増えるといいですね。    

花まる学習会代表 高濱正伸