高濱コラム 『還暦』

『還暦』2019年7月

 この10年くらい、徐々に、しかし確実に変わったことを実感するのが高齢化です。身の回りのいくつかの職業で、お年を召した方が増えたなと感じることはないでしょうか。例えばタクシードライバーなどは顕著な例でしょう。また、車を運転していて前の乗用車が異様に遅いとか、何でここで止まるんだと思って見ると、お年寄りが運転している。
 こういう場面に遭遇する頻度が間違いなく上がったなと思っていたら、立て続けに高齢者の大きな交通事故がニュースになりました。特別な例ではなく、大きな地殻変動のうえで勃発する必然的な出来事だと思います。ドラッカーではありませんが人口動態のグラフを見れば、今日の状態は数十年前から「すでに見える未来」であったし、あちこちで予測された通りの少子高齢化の時代に突入したのです。老齢の運転者数が増えれば、確率論としてそういう方々の事故は増えるのは当たり前ですが、嘆くことではなく、むしろ長年目指してきた長寿国家を達成したからこそ、新しいステージの課題と向き合わねばならないのでしょう。高齢者が大多数になっても経済力や活力をどう保持するか、そんな構成員集団で幸せになるとはどういうことなのか、議論が必要なのかもしれません。いずれにせよ他の先進国と呼ばれる国々の多くが後を追ってきます。ここは老人大国としてのお手本となれるよう、技術革新や社会制度改革・健康増進策などを駆使して、みんなで支え合いたいものです。

 と、他人事のように書いている私も、3月に還暦を迎えました。振り返れば、一周目の60年は、ありがたい人生でした。熊本の人吉盆地という山の中で、野山を駆け回り、虫捕り、川遊びに熱中する少年時代を過ごし、高校の野球部では、部員9人が功を奏して一年から試合に出られるし、先輩方は憧れだし、鍛えに鍛える苦しい日々でしたが、充実していました。3年の夏からは恋に夢中でいったん転落。二浪までの日々は、不良、遊び人で親の期待を完全に裏切りました。しかしここで、幼い頃から級長・児童会長・生徒会長と、人の決めた枠組みに迎合する「良い子」を演じていた殻を脱ぎ棄て、自分の興味関心に忠実に生きるリセットができたとも思います。
 20歳の一年は、超まじめな受験生として過ごし、ビリギャル並みに偏差値を30台から70まで伸ばして大学合格。しかし一年の禁欲のマグマが噴出して、それからの10年は、常に誰かに恋をする一方で、ジョン・レノンの音楽に傾倒したことを皮切りに、バンド・絵画・映画・写真・読書・芝居・スポーツ・囲碁・落語・賭け事と、おもしろいと思ったものを食い尽くす勢いで、のめり込み続けました。アルバイトも様々経験しました。厚生労働省に入った友人から、「高濱みたいなのが、この国をダメにするんだ」と愛を込めて忠告されたこともあります。しかし当時の自分は、そうしか生きられないくらい精一杯だったのです。「道を決めたら、みんなから遅れた10年分を必ず取り返してみせる」とも思っていました。
 やがて、子どもを相手にする仕事なら一生満喫して生きていけると確信し、同時に社会的引きこもりの問題を知り、教育で生きて行こうと決めたのが30歳過ぎ。数年準備をして、33歳の終わりに花まる学習会を設立。今に至ります。
 60歳の今、人生は短いなあと痛感します。花まるを始めた頃の小学生はみんな働いていますし、講演に行ったらPTAの会長が教え子だったとか、「私も花まるにいたんですよ」と言われることも増えました。か弱く悩み多き少女だった子が強い母になり、「大丈夫かなこの子」と心配した少年が立派に父の会社を継ぎと、みんな頑張っています。第一期生は私が花まるを立ち上げた年齢になりました。若者の方が私たちの頃より偉いなと思うことも増えました。きっと私が幼少期に見上げていた大人たちも同じように成長する子への感動を味わったのでしょう。一方で、心から頼りきっていた両親は、嵐のようなひと時を経て、ともに介護施設や病院の世話になっています。人生は繰り返し。命のバトンのリレーです。バトンを持っている自分の番を、精一杯生き切りたいと思います。

 さて、花まるを起業して26年、結婚して23年。私の還暦に、一人息子の成人も重なったので、思い切って一週間の休暇を取りハワイに行きました。結婚当時、私はすでに猪突猛進スイッチが入っていたので、23年間ただもう〝仕事の虫〟の夫でした。このような長期の旅も初めてなら、3人での海外旅行も初めてでした。
 障がいの人のための様々なプログラムを提供しているナイアドルフィンヒーリングプログラム(江川美奈代表)のツアーに参加したのですが、充実していました。メインのイルカセラピーは、良く訓練されたイルカと一緒に泳いだり、温かい体にピッタリくっついたりできるもので、息子も驚き、のち大はしゃぎの様子で満喫しました。相手によって対応を微妙に変えるイルカくんたちの繊細な優しさにも感動しました。大きなボードにうつ伏せになっての海岸でのサーフィンでは恍惚の表情でしたし、ハープやウクレレの演奏やポリネシアセンターの炎のショーでも集中しすぎるくらい集中していました。
 このツアーは、お医者さんをはじめ、看護師さんが数名スタッフに入るもので、参加者がすべて重度の障がいの方とその家族です。25歳で突然難病に陥った40歳の娘さんを連れていらした70代のお父さんは、「私も歳なので最後の思い出に連れて来た」とおっしゃっていました。60代のご夫婦はもともとハワイ好きの一家だったのに、奥様が数年前に進行性の難病に罹り、ご主人が思い出の場所にもう一度行かせてあげたいと連れてこられたのでした。5つの家族それぞれに事情があるのですが、みんな幸せそうでした。誰かの病をきっかけに迷いなく寄り添ってこられたからでしょうか、温かい美しいものが、家庭ごとに花開いているようでした。
 23年分の罪滅ぼしには程遠いわが家だったのですが、まあこんな雰囲気もあり、長年苦労をかけた妻がすこぶる嬉しそうにしてくれたことが、一番の喜びでした。これからは、もう少しこんな時間も取らないといけないなと感じる旅となりました。    

花まる学習会代表 高濱正伸