高濱コラム 『認められる喜び』

『認められる喜び』2026年9月

 今年の夏も、サマースクールで多くの子どもたちと出会い、思い出深い一か月になりました。担当の修学旅行の一回目では、阿蘇の外輪山にある大観峰でのひとときに思うことがありました。中岳の火口見学も活火山の火口を覗ける稀有な機会なのですが、子どもたちの心を観察していると、大観峰での班ごとの自由時間のあとのほうが格段に躍動している。その差は何かというと、火口見学はコースが決められているのに対し、大観峰では広大な絶景を背景としながら、「あの崖の向こうへ行ってみよう」「ここで輪になって写真を撮ろう」等々、「自分たちで決める」ことに満ちている。子どもたちの引率の基本構造として、自己決定の大切さを再認識しました。川遊びも同様。水かけするも魚を捕まえるも自由という自己決定比率の高さがあるから、心底「楽しい!」と言えるということです。不思議なくらいリピーターの多いコース「夏休み港町大作戦」の魅力も、きっとそこでしょう。「次は何をすればいいですか」ではなく、「私はこれをしたい!」「次はこれをしよう!」と自分たちで決める。教室外の活動での要点なのでしょう。
 ところで、二回目の修学旅行の前に熊本で地震がありました。高速道路が遮断されていることや、医療施設のひっ迫、10年前の「前震のあとの本震」の記憶もあり、やむなく中止にしました。ただ、せっかく申し込んでくれた子たちには絶対に会いたいし何かやってあげたい、とスタッフで侃々諤々話し合いました。そして、東京・大阪・愛知で一日だけの修学旅行を実施しました。各人との1on1や哲学対話の時間に加えて、「子どもたちが決めるミニ遠足」を実施。東京は浅草の花やしき、愛知は大須商店街での町探検、大阪は通天閣から天王寺動物園。これはこれで「嘆くのではなく、できる遊びをみんなで考えて工夫して楽しむ時間」となり、貴重で素敵な思い出となりました。
 ほかのコースでは、毎年恒例で、サマースクールで開催している会場をまわれるだけまわり、写真を撮ったりハイタッチしたりして子どもたちと交流するのですが、短い時間ながらもクワガタ体操の楽しさは言葉では伝えようがないほどの歓喜があります。抜けるような真っ青な空、白い入道雲、夏の緑がモクモクと輝く山々。ノルウェーの応援「バイキング・ロウ」にも負けないような絶叫で「1・2・3・4・5・6グヮシグヮシ!」と子どもたちもリーダーも声を揃えるひととき。今年も「ああ、いまこの時間こそが天国だな!」と、人の輪や平和のなかで味わえた幸福に感謝する気持ちになりました。私はあの体操での盛り上がりから「さあ、次は川だ川だ!」「さあ、いよいよサムライ合戦だ!」と移動しはじめる子どもたちのキラキラした笑顔がとても好きです。

 そんな夏の至福の合間に会社へ戻ると、厚さ5センチほどのA4の紙の束が置いてありました。それは2月に千葉県市川市の小学校でおこなった講演会の感想文。小学4年生から6年生までの300人強の感想が書かれてありました。軽く目を通しはじめたつもりが、気づいたら2時間くらい時を忘れて読み込んでいる自分がいました。引き込まれた理由は、真心が籠っていたことです。一人ひとりが「自分を見失わないように日記を書いてみようと思いました」「本当のことを話してくれる大人の人だなと感じました」「もしもいじめられたら、今日の言葉を思い出して頑張ります」「大人になるのが楽しみになりました」等々と、子どもならではのありのままの感想を書いてくれていたこと、しかも字がきれいな子が多く、丁寧に書いてくれたことが伝わる。ということは、担任の先生がやっつけではなく、この課題に誠実に取り組んでくださったことも伝わってくる。そしてヒモできちんと綴じられきれいな表紙もつけられた分厚い束からは、PTAの役員の方々の、この講演会を企画した真剣な気持ちや誠意まで伝わってくる。そのことでしみじみとした幸福感に包まれました。人間は認められたい生き物。自分が世界に放った言葉に、このような熱い反応をいただくことほど嬉しいことはありません。

 ふと振り返ると、34年間、それぞれの日々に何度もこの体験があったなと思い出しました。10年以上前には、あるお母さまから忘れられないお手紙をいただきました。曰く、自分は医師で算数や数学で困ったことはない。しかし長男は「こんなことも理解できないのか」というくらいつまずく。2歳下の妹のほうがよくできるくらいで、兄には失望の繰り返し。そのたびにイライラして、正直虐待と言われても仕方のないくらい怒ってしまう日々であった。ところが、講演会を聞いて目から鱗が落ちた。ありのままのこの子を認め、日々の幸せをかみしめて生きようという気持ちになった。心が軽くなった、という内容でした。便箋10枚くらいでしたか、ビッシリと、しかも見たことのないくらい達筆な字で、念が籠っているというのか、知性と気迫が感じられる文章だったのでした。あの頃も毎日毎日講演会の日々だったのですが、こんなふうに真剣に受け止めてもらい感謝されるなんて、何てありがたいことだろう、こちらこそ幸いをいただいたと感じたものです。
 そういう意味で忘れられないのは、3年前にいただいていまも壁に飾ってある団扇。ある日、講演会にいつものように登壇したら、最前列のお母さまが、よくアイドルなどのコンサートで掲げられるようなキラキラした装飾をつけた団扇を、胸に掲げて座っていらっしゃる。団扇には大きく「たかはま先生、ありがとう!」と書かれているのです。こんな還暦過ぎのオッサンに、こんなことをしてくれる人が存在したのか。講演はいつも通りやり遂げましたが、森のなかに見つけた玉虫や小川で発見したカワセミの背中のように、大勢のお母さま方が「地と図」の地になってしまうほど、その団扇は美しくきらめいて心に焼き付きました。世界に一人でもこんなことをしてくれる人がいるなら、講演会を頑張るぞ! と深く感謝と感激をしたものです。
 ちょうど先日、同い年の評論家、山田五郎さんが亡くなり、生前最後の動画が流れていました。彼はガンでよれよれになっても出演する意味は、「『メメント・モリ(死を想え)』と対句をなす言葉、『カルペ・ディエム』ですよ」と語っていました。カルペ・ディエム(Carpe diem)。ラテン語のことわざで「今日を摘み取れ」と訳されますが、先がどうのこうの言ったって人間は必ず死ぬし、それは明日かもしれない。今日一日を真剣に悔いなく生ききることしか人にはできない、という意味と理解しています。私もいつもこの二語は心で繰り返して生きてきました。結果として温かい人のつながりのなかに感謝しながら生きていられる。与えられた役割を真摯に果たして、一日一日を大切に生きていきたいと思います。
  
花まる学習会代表 高濱正伸