Rinコラム 『次に、どうしたらいいの?――しあわせを自分で決める』

『次に、どうしたらいいの?――しあわせを自分で決める』2022年6月

 「見て、ここをね、こうやってみた」「見て先生、こんな形になった」5月に初めてクラスに来た彼女は、「こんなふうにできた」ことをすべて私に伝えなければ気が済まないようでした。「なるほど、ここを工夫したんだね」「ここはこんなふうにも見えるね、いいアイデアだね」“感性の共有”をすると、承認を得られたことが誇らしいのか、「みんなにも見せなくちゃ」と仲間のもとに戻っては、数分おきにまた私のもとへやってきます。

 こんなことは珍しいのです。とくに、もともと創ることそのものが大好きで、どちらかというと自分の世界に没頭する子が多いAtelier for KIDsのクラスで、彼女の言動はとても目立っていました。どこか切実さを持って何度も何度も作品を見せに来る彼女の要求を、全部受け止めてみよう、と2回目に会ったとき、私は決めました。そして夏が来る頃、彼女はもう、いちいち何かを見せに来ることはなくなりました。そのことが、彼女の内面にどのような変化をもたらしていたのか、私はずっと考えていました。

 その年の最後のクラスを終えた日。「以前は、何をするにも自信がないというか、なんでも確認していたんです。よく考えたら、いつもスケジュールに追われている毎日で。でも『じゆうに』やっていいって、りん先生が言ってたから!って言って…」と彼女の成長を嬉しそうに話してくださるお母さんの姿がありました。

 彼女は、ただ自分自身を取り戻したのです。「自分をありのままに表現してもいい」と、納得するまで確認をしきった彼女は、ようやく自分の中にある軸を取り戻し、自分自身を信じられるようになっただけなのです。誰かのための何か、をもう探す必要も、聞く必要もないのです。これでいいのかどうかは、もう自分でわかるのです。彼女は本当の意味で「じゆう」を知ったのだ、「自分の人生」を生き始めたのだ、と私は思いました。

 「ママ、何をしたらいいの?」って聞かれたんです。私もうびっくりして。「え?積み木ででも遊んだら?」って言ったんですけどね…」学級閉鎖で急にお休みになった日。1年生の娘は本当に困った顔をしてお母さんに尋ねたのだそうです。お母さんは気づきました。「あの子、いままで全部決められたことをただやっていただけだった」

 「先生それで次はどうしたらいいの?」困った、わからないよ。といった表情。その場にいる子どもたちは全員、怪訝な顔をして「何を言っているんだろうね」と目で私に話しかけます。はじめて「じゆうに創作する」場に来た彼女は、なぜ周りのみんながその質問をしないのかということさえも気がつきません。「次にどうしたい?それは先生にはわからないよ。あなたはどうしたいの?」と笑って聞き返します。ハッとする目。

 「次に、どうしたらいいの?」子どもたちの、“同じような発言”の裏にあるのは、ただ「自分で決める」ことを知らないだけなのかもしれません。「自分のしたいこと」に没頭して楽しみ、感性を豊かに働かせ、誰かの価値観に邪魔されず遊ぶ経験を十全にできたかどうか。そのことはきっと、彼らの人生を大きく決めるほどの重要なことなのだと、今では確信しています。

 自分の人生を生きる。そのことほど大切なことはないでしょう。それができれば、しあわせを自分で決められるからです。
 
井岡 由実(Rin)