Rinコラム 『こころが解放される』

『こころが解放される』2023年1月

 「ワークショップがあった日、娘はよくしゃべり、よく食べ、身のまわりの細かいことに疑問を持ち、とても楽しそうでした。4月から一年生になり、朝も夜も時間との戦い。マイペースに過ごす時間はとても減りました。まだその生活に慣れない娘にとってワークショップはオアシスだったのだと思います。心が解放されると、世界が楽しく見えて、たくさんのことが吸収できる土台となるんだなぁと親も勉強になりました。」一年生の母

 「自分自身も楽しみながら、もうすぐ就学を迎える子どもたちが、どんな意欲的な姿を見せるか楽しみでした。それを目標に観察しました。とにかく『見て見てホラっ』と作品づくりに没頭できていた姿、いろいろな感覚を取り入れながら作品づくりをしていると気づき、大人(保育士)も、子どもも、心が解き放たれるような学びを得ています。そのなかで約束事がある(ルール)ことを学びました。大人の視点で、子どもが変わる。また来年もよろしくお願いします。」保育士

 ARTを介した教育のなかでは「自由」とは何か、について、オトナが深く考えることになります。
 自由とは、「自分で決める」ということ。
 どんな表現も、どんな意見も、等しく尊重されうるその空間では、オトナも子どもも関係なく、誰もが対等な表現者として存在を認め合えます。

 作品にはいろいろな見方があり、何を感じてどう表現するのかは自由であり、作者の思いや、鑑賞する側の発見、そのどれもが感性の共有として、等しく尊重される。
 自分の分身である作品を認め合い、創作中のハプニングや試行錯誤は、知の共有として、お互いを高め合うものになります。

 子どもから「ああ、その色、いいね〜」と、忖度のない称賛の言葉をもらったときの、思わず誇らしげな笑みがもれる大人の表情。その瞬間を、何度となく見るにつけ、もしかしたら大人のほうが、ありのままを認められ、「それいいね」と称賛してもらえる機会が少ないのかもしれないなと感じました。

 自由である環境が担保できると、自分自身の達成感が生まれるため、お互いを認め合い始めます。結果として、子どももオトナも関係なく、私たちはみな、こころが解放されたと感じるのでしょう。何をやっても大丈夫なのだという精神的な安心感のうえに、学ぶ意欲は育ちます。
 本来の自分自身というものを自覚し、ありのままの自分を認めてもらえたと感じることは、世界とのかかわり方を変え、本来持っていた存在意義や、生きる価値を見出すのかもしれません。

 「こころが解放される」。そんな瞬間は、みなさんの経験にもあるでしょうか。

 音声配信「Rin先生のアトリエラヂオ」シーズン2も始まりました。今年も、子どもたちだけでなく、子どもと接する大人たちと日々ARTを通してかかわるなかで、改めて気づかされたことをテーマに、みなさんと一緒に考えていければと思います。どうぞよろしくお願いします。
 
井岡 由実(Rin)