高濱コラム 2005年 1月号

天変地異に翻弄された一年。来年こそは無事をと願うのは自然な思いですが、地震や豪雨は来るときには来るのですから、必ず来るからこその準備を怠らずという姿勢こそが、より賢明な心構えなのでしょう。

個人的には、たくさんの感動で充実した年でしたが、その中でも印象的だった思い出を書きます。歩くことも話すことも訓練中の、年長の息子丈太朗ですが、昨年入れてくださった幼稚園が本当に素晴らしい環境で、幼児用の車椅子での生活ながら、親の心配をよそにたくさんのお友達に囲まれ、楽しくて仕方ないらしく、年中の6月からは、週末にひいた風邪も強引に治す精神力で、一日の休みもなく通い続けています。今年の夏、その幼稚園の遠足でのできごとです。

あるお母さんが、子どもたちと一緒に歩いていたら、小さい沼にさしかかった。そこは尾瀬のような木道がある場所だった。そのお母さんの前にはクラスメイトのD君も歩いていたのだが、突然立ち止まった。どうしたのかと思うと、木道をじっと見つめて、独り言で、「じょう君大丈夫かなあ。通れるかなあ」とポソリと呟いたというのです。

ただそれだけです。妻を通して伝え聞いたときには、「ふうん、やさしい子だね」という程度の感想を言ったのですが、時間がたつにつれ、私の中で、輝きを増していきました。普段一番近いお友だちとしては名前を聞いていないD君だっただけに、クラス全体に日ごろからある温かい雰囲気を感じることができたこと。幼児の一瞬の呟きだからこそ、打算のない純粋な思いやりであることが伝わってきたことなどが、その理由でしょう。

子どもが教えてくれることがある、という典型的なエピソードですが、それにしても、思いました。がんばって稼いだところで、贅沢すると言っても、一度に100杯のメシは食えない。「一日ニ、玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ」ではありませんが、生活に困らないほどの食事と住まいを手に入れたならば、あとは、このような確かな思いやりの気持ちを受けとることほど、豊かなことがあるだろうか、と。彼を育ててくれたご両親、園の先生、伝えてくれたお母さんなど、回りの多くの方へも、感謝の気持ちで一杯です。

さて、新しい年がやってきます。教育の仕事に携わって20年近くたち、一つ夢を掲げることにしました。それは学校を創ることです。公教育の地盤沈下に対する、一社会人としての焦燥もありますし、明るい時間に、毎日、指導ができることへの憧憬もあります。体育と国語を機軸に、洗練された授業と週末ごとの野外体験で、情操・意欲・思考力・社会性・周囲の人への思いやりも、同時に世界のどこにも負けない学力をも身につけた子どもたちを育てたい。強靭な体力と、自立へ自立へと自分を鍛え上げて行くような精神力と、そして「あなたと仕事がしたい」「あなたと一緒にいたい」と請われるような魅力や遊び心を、兼ね備えた人間を育てたい。

あてはありません。まず宣言することから始めることにしました。5年後にしろ10年後にしろ、ひたすらに追い続けようと思います。それは、花まるの中身を、より本物にし、そしてスクラムを組んでくれる同士、応援してくださる方を一人ひとり見つけていくことから始まるでしょう。甘くはない。しかし、きっとうまくいくと信じて努力していきたいと思います。

よいお年をお迎えください。

花まる学習会代表 高濱正伸