高濱コラム 2004年 8月号

むせ返る草いきれの道を抜けると、その清流がありました。サマーの下見で訪れたその川は、今まで見たどんな流れよりも透明で、神聖とも言える雰囲気に満ちています。その水を手にすくって、乾いたのどをうるおし、水中眼鏡を通して覗いてみると、目の前を群れになって泳ぐヤマメ。人ずれしていないのか、手の届く距離でも一向に逃げる様子もなく、無心にエサを求めて回遊しています。全身を水に浸して、魚たちの泳ぐ姿を眺めているだけで、たまった仕事の疲れが吹き飛ぶのを実感しました。

そして、飽きず眺め続けていると、こんなことが頭に浮かびました。知り合った人と人の間には綱がある。例えば10人が集まれば、そこには10C2=45本もの綱が存在する。その45本全部が良い関係であるということは、まずめったにない。30人のクラスともなると、30C2=435本。全て良好など皆無に近い。夫婦や友人のように、もともと惹かれ合ってつながった一本と言えど、365日の中には呼吸のように、良かったり悪かったりを繰り返す。そういう時間軸まで考慮すると、「人集うところトラブルあり」ということこそが数学的には真実である。であるのに、それを大きなストレスと感じる人が多いよなあ。

必ず起こるもめごと、必ず起こるクレームならば、「いい奴ばかりじゃないけど、悪い奴ばかりでもない」と、しなやかに切り結んでいくことが必要なのに、「いい人ばかりじゃない!」と現実にそっぽを向いて、一人の部屋に撤退してしまう。体の硬さのような、人間関係力の硬さ・もろさが目立つ。自治会やPTAの役員などになるのを「面倒だな」と回避する親の世代に、すでにその症状が明確に見られるけれど、その子どもの世代は「うざい」「きもい」「むかつく」と、関係拒否の方向に、さらに退化してしまっている。

「かかわりをストレスと感じない人」「かかわりこそ喜びであると感じる人」を、育てなければならない。ばい菌への耐性のように、自力でトラブルを乗り越える心の力を育てなければならない。そのために大切なのは、何と言っても「場数」「経験の豊富さ」である。そのときは親子でつらい喧嘩や孤立も、「もめごとはこやし」と、長期的な目で見守っていく必要があり、理不尽や苦労が、将来どんなに彼や彼女の人格を味わい深いものにしてくれるかを痛感する必要がある。

同じくらい、「成功の経験」も欠かせない。保護者に認めてもらう幼児期の喜び、友や恋人と一緒にいて共感する喜びなどだ。「世界中にさだめられた、どんな記念日なんかより、あなたが生きている今日は、どんなにすばらしいだろう」と心底思える瞬間を、何度持てるか。その経験は、きっと難局での勇気となって力を与えてくれる。

そして、親たち自身が、もう一度「かかわり」に向けて自分を変えていくことも必要だ。全国に広がる「オヤジの会」の設立などは、そのあたりを敏感にかぎとった人たちの動きなのかもしれないな。

もちろん、これらは、次々に発生する少年犯罪の背景を考え続けていた中で、思い浮かんだことです。そこまで考えて、水から頭を上げると、相変わらず太陽はギラギラと照りつけ、山の端は青空と白い雲に映えて、濃い緑色に輝いていました。

何より無事で、そして実り多き夏休みとなりますように。

花まる学習会代表 高濱正伸