高濱コラム 号外 情熱大陸御礼

 3月14日、『情熱大陸』という番組に出演しました。花まる学習会を立ち上げてちょうど17年。ここまで出会えた多くの方々、支えてくださったみなさまのおかげです。ありがとうございました。3か月にも及ぶ密着取材で、最初は緊張しましたが、ディレクター兼カメラマンのTさんが、信頼していいなと感じられる方で、すぐに慣れました。番組を見た身近な人も「随分自然体でしたね」と言ってくれましたが、ひとえにT氏のおかげです。

 一番最初に「作った作品は、放映前には見せるわけにはいきません」と言われ了承していたので、放映の時間になるまで、全くどんなものが流されるか知らなかったのですが、終わってみたら、ホームページはサーバーがダウンし、電話は鳴りっぱなし。全国放送のテレビの威力というものを、見せつけられました。

 最初に思ったのは、快く取材撮影に協力してくれたのに放映されなかった方への、申し訳ないという気持ちです。全くの無名無実績の立ち上げ期に、最初に電話営業を受け入れ、花まる開催を許可してくださった園長先生。自分の子どもたちはとっくに卒業して社会人や大学生になっているのに、社員の昼ごはんをボランティアで作ってくださっている、会社の母のような一期生世代のお母様方。なぞぺーを認知症治療やリハビリに使うソフトに利用するという夢のようなことを実現してくださったお医者様、雪国スクールでお話ししてくださったお父様方…。多くのみなさんに御不快な思いをさせてしまいました。申し訳ありませんでした。

 その中でも、受験直前の取材という、通常では全く考えられないことを受け入れてくれたのは、扱われたN君だけではありませんでした。同じ浦和高校に合格したS君、開成高校に合格したT君、筑波大附属駒場中学に合格したU君なども、同時に取材され続けていて、ご家族もよく協力してくださいました。それなのに全く出なかったことは、本当にすまなかったと感じています。ここにあらためて感謝と謝罪を表明します。

 秘話をひとつ。

 中学受験スーパークラスの一年の最後は個別指導。その中にU君がいました。5年でも沖縄のサマースクールに来たり野球を続けたりと、大らかな受験勉強であったのに、6年一年間で驚異的な成長を見せ、他流試合の他塾の模擬試験でも全国一桁順位、過去問はどれをやっても実質満点(これは、60点か65点くらいが合格の基準ラインになる入試の実情を考えるとすごいことです)というくらい伸びていました。恐らくかつて私が指導した生徒たちの中でも、もっともできると言える状態でした。

 そんな彼の最後の個別に、カメラが来たのです。志望校の、彼がまだ手をつけていないだろう古い過去問を渡して10秒ほど。 解き始めたかなと思ったら、急に机の下にかがみこんでゴソゴソと何かとりだしています。ある中学校の入試過去問です。「先生!これずっと考えてもわかりません。解答を見ても全然わかりません。テスト終わったら、教えてほしいんですけど」

 歴代一位と思われる天才君が、会わなかった一カ月間考えても、答えの解説を見ても理解できなかった問題を、40分のうちに理解して解説しなければならない…。これがどのくらい厳しいかというと、昔一流選手だったコーチが、現役のイチローに「どうしても打てない球があるんです。打ってみせてください」と突き付けられたようなものです。

カメラは回り続けている。
しかも、人の表情の機微をすぐに見てとるアンテナのすぐれたカメラマンである。

さりげなく彼を見守るふりをしながら、私の脳は、いまだかってない集中と回転数で回り始めました。「できません」なんていう無様な場面を撮影されるわけにはいかない。

ところが、これが本当に厳しい。意味をつかむことすらままならないほどです。

時間は過ぎていく。

あと10分。

私の脳裏には、チラシ一枚をポスティングして始めた創始期の思い出、世話になったいろいろな人たちの顔などが、走馬灯のように浮かんできました。「くっそー、こんなにがんばって憧れの番組までこぎつけたのに、赤っ恥をさらすのか…」

あと5分。

息子の顔が浮かんできました。
戦地で死にゆく父の気持ち。
「ごめん、おとうさん、解けなかったよ…」

とそのとき、一筋のひらめきが訪れ、一瞬にして理解することができました。もはや自分の力ではない何かに助けられた感覚。きっと可愛がってくれた死んだじいちゃんだなと思いました。

奇跡です。

いっとき身内には、「花まるのキューバ危機だったね」と言っていました。
しかし、そんな濃いがんばりの時間だったのに、ひとかけらも放映されませんでした…。

最後に訂正を。

 番組内では、2浪2留と紹介されていました。なぜそんなことになったのか不明ですが、本当は3浪4留です。まあ、3月生まれですから、浪人を一年数え間違えたというのは理解できるとしても、留年の回数を聞き間違えるとはどうしても思えないのですが、編集のホットな場で、上の人かなんかが「いくらなんでもそんなにひどいことはないだろう」と修正されたのかもしれません。

 芸能人ではないのですから、年齢や学歴を詐称しても、仕方ありません。古くからの友人などは「浪人ば一年短う言うて、どぎゃんすっと?」とからかってきました。

 ちなみに、3浪のうち2年間はだらしない不良として過ごし、東京に出てからの3年目は死ぬほど勉強し、大学の4留は完全なる確信犯で、海外の一人旅・本・哲学・映画・バンド・絵画・落語・スポーツ・写真・博打・語学と、その都度その都度ものすごくのめり込んで遊び尽くしました。また、牛乳配達・建築現場・厨房・屋台のおでん売りなど、いろいろなアルバイトにも精を出しました。ここはなかなか負けない経験量だと思っています。どう転ぶかわからないくらい道草をし遠回りをしましたが、このときの経験量が、「ダシ」となって今利いているなとよく感じます。いつかこれは詳しくお話しします。

花まる学習会代表 高濱正伸