高濱コラム 2010年 11月号

最近疲労気味だなと思いふと気付くと、この一カ月だけでも16回もの講演会をやっている自分がいました。夢中で仕事に打ち込んで、呼ばれるままに応えてきた結果ですが、おそらく年間では100回以上でしょう。本業の授業はほぼ毎日あるし、雑誌のインタビューや執筆の機会も増えたので、疲労もむべなる かなというところです。

ハードワークですが、講演は大好きです。人を喜ばせられることは、最大の幸せの一つですが、目の前で大勢に笑ってもらえ、「感動しました」というような声をいただくことは、かけがえのない喜びがあります。縁をつないでいく時間でもあります。

しかし、特に噺家修行をやったわけでもないのに、何でこんなことになっているのか。自分では分かりません。なっちゃったというのが正直なところで、テクニックも発声の基礎もない。ただ、お母さんたちの力になるようにという思いだけは真剣に持ち続けましたし、いつも笑いの器に入れて言葉を届けようということだけは心がけました。その程度です。

一つだけ言えるのは、講演は進化し続けているということ。それはお母さんお父さんたちの声によって常に微修正を加えているということです。一番最初の頃は、ジョセイのジの字も理解していない典型的男子として、思いっきりベキ論を話していました。よく言われたのが「先生、情熱は伝わるけど女は理屈は聞いてないですよ。事例を話さなきゃ」ということです。さらによく言われた「母親は、ただ安心したいんですよ」という一言を本当に理解するのに5年はかかりました。

最近では「先生は、女性はおしゃべりが大事大事っておっしゃいますが、相手の自慢話を延々と聞かされるのも、ストレスだったりしますよ。」という意見などは、なるほどなと世界を広げられた気がしました。このちょっとした見方の広がりが、非常に大事です。講演が魅力を持つためのコヤシになるでしょう。

家族カプセルの中で孤立した子育てに追い込まれている母親像の話でも、最初は、「話を聞かない父が悪い」という主張でした。しかしある父親学級で「多分に、母寄りの意見だと思った」とか「先生、母も孤独なら父親も孤独ですよ」という感想をもらい、何が足りないかを考え抜く機会になり、現在の「男VS女の壁=別の生き物論」に行きつきました。犬が毎朝散歩したいからといって「私は全然したくないんだけど」とイライラする人はいない。「犬は散歩したい生き物よね」と納得できる。同じように「男は『要するに』っていう話をしたい生き物よね」「女は今日感じたこと見つけたことを、とりとめもなく話し続けたい生き物だよな」という見方ができれば、異性を大らかに受け止められるというこの理論は、目下とてもうなずく人の多い話です。

そうやって思いだしていくと、「ああ、私は何て良い出会いに恵まれ、育てていただいたのか」ということに気付かされます。講演の内容そのもの以外にも、たとえば人の集まりが悪いことがあったりすると「前日に一本電話を入れるといいのよ」と教えてくださったり、次の機会に友達をたくさん連れてきてくださったりしました。現在北浦和の本部で、社員のために昼食を作ってくださっているのは、とっくに卒業して社会人として働いている第一期生だった子のお母さんたちです。

応援され育てられて今があるなあ。急に寒くなった秋の夜長、ふとこのような思いが頭をめぐり、ただただ、出会った保護者の方々に感謝の気持ちを示したくなり、この文章を書きました。