高濱コラム 『花まるを支えた社員』

『花まるを支えた社員』2012年2月

2月2日に、花まる学習会は19歳を迎えました。あっという間だったなあというのが、正直な感想です。夢中でやってこれたことは幸福で、それは、最初に拾ってくださった幼稚園の園長先生始め、出会いのおかげだとしみじみ思います。そんな中でも、この一人と出会っていなかったら、大きく違っていただろ うなと言える人たちが何人かいます。

工藤政宏君もその一人。設立から7・8年は、会社とは名ばかり、実質は個人商店でがんばっていたのですが、生徒数600人 くらいのところで、一度頭打ちになりました。組織を作ろうとしても、うまくいかない。そんな挫折のときに、神の贈り物としか思えないメンバーが社員になって参加してくれました。幼稚園会場を自力で複数開拓した剛腕営業力の女Sさん、のちに「国語なぞぺー」を書いた丹保由実、同様に「ノート論」で次々に本を 書いた持山泰三。そして工藤君の4人です。「いずれ政治の道を目指しているのだが、3年間鍛えてください」というのが、工藤君の入社希望の言葉でした。彼らが色々なアイデアをぶつけ合って、新しい花まるをどんどん構築してくれたのです。

工藤君のすごいところは、志が高いというのか、愚痴や人の悪口を絶対に言わないこと。二つ運ぶモノがあると、必ず自分が重い方を選ぶ人間でした。ある年、暴れん坊の2年生君がいました。サマースクールを暴力や威嚇でぶちこわしにする。翌年も申し込んできた。私が「断ろうか」と言う。すると「高濱さんが、そんなこと言うんですか!そういう子こそ何とかするのが花まるじゃないんですか!」と涙目で訴えてきたものです。また、どうしても事務作業にモレが出てクレームが来るような、普通は見捨てそうな青年スタッフにも、自分が号泣しながら叱咤していました。

その暑苦しいくらいの情熱に惚れて、多くの若者が入社し、今会社の中心を担ってくれています。当時から私は、今どきいったいどんな育ちをすれば、彼のような魅力ある男が育つのかと興味を持っていました。そして今年その謎が解けました。お父さんです。
もともと、剣道の師範として、大学生たちを何十人も自宅に住まわせ、鉄拳制裁で熱く厳しく指導していたとか、高校生や大学生になっても彼の布団にときどき来ては「大きくなれよー!」と背中をさすってくれたとか、大変な鳥好きで、インコだカナリアだとその時々に熱中して、今はオウムを百羽も飼っているとか、普通でないことは知っていました。

1月、工藤君に呼ばれる形での講演会に招かれ、小倉空港から行橋市の会場まではお父様が送迎してくれたのですが、お聞きした話は、どれもこれも劇画のようでした。「先生、剣道っていうのは、ある境地以上になると、剣を触れあった瞬間に相手の器が分かるんですよ。勝負なんて時の運です。政宏は3歳から防具をつけさせたんですが先生、驚きましたよ。『こんなすごい男見たことない』って感じたんですから!」これだけでも笑えますが、続きがありました。「自分の父親に『政宏はすごいかもしれん』と言ったら、父は『甘いな。今頃分かったか。あいつは凄い男だよ』と答えたんですよ」おめでたいほどの幸せ家族です。

工藤君本人から聞いた話も面白かったです。東京から家族で帰郷した。すると、風呂から父の絶叫が聞こえる。行くと「セッコー!セッコー!」と8年前に亡くなった妻の名前を叫んでいた。痴呆が始まったかと心配して祖母に聞くと「私も、始めはボケたかと思ったんだけど、もう死んでから毎日そうなのよ」とのこと。そして、鳥小屋(というか鳥の家)に行くと、オウムたちまで「セッコー!セッコー!」と叫んでいたそうです。

笑い話のようですが、亡くなって数年たってもなお絶叫するくらいに妻を愛し続ける人物がいるんだな、そしてだからこそ工藤君のような熱い男が育ったんだなと思ったのでした。