カエル 『できなかったところ、わからないところからが、本当の勉強のはじまりです。』

『できなかったところ、わからないところからが、本当の勉強のはじまりです。』2012年6月

例えば、野球がやりたくて、習い始めたばかりの5年生A君。
周りは小さなころからその野球チームに入っていて、基本的な攻撃や守備は一通りできている。真剣にプレイするメンバーを見てきっとA君は、「ぼくもできるようになりたい!」とたくさん練習するだろう。
野球に限らず、ピアノでも、水泳でも、書道でもいい。「今はよくできないけれど、もっとうまくなりたい」という気持ちがあれば、みんな自分を鍛錬している。

実は、できないこと、わからないことほど、「あ!コーチが言ってたのはこういうことか!」「なるほど!この角度で当てればよく飛ぶんだな」というように、わかった時の手ごたえが大きいでしょう。不自由さを感じていることって、本当は一人ひとりの宝物といってもいいくらいなんだ。

勉強もまったく同じ。「できない、わからない」からこそ、その先に大きな喜びが待っていると思ってほしい。
花まるでは高学年専用の「Sなぞぺー(Sなぞ)」があるよね。お父さんやお母さんでも頭をかかえてしまうようなレベルの問題が出てくる、難問ぞろいだ。

Sなぞの一問に向き合って「わからないなあ」。その時に、どうするか。ただながめていても進まない。「わからない、でもどこかに手がかりがあるんじゃないか」と手を動かしてごらん。正解にまでたどり着かなくってもいいんだ。「ここまで、おれは考えたぞ!」というところまでやれるかが、まず大事。

そして、成長の分かれ目は、実はその後にある。授業で解説を聞いて「そっか!ここまでは分かってたんだけど、ああいう風に基準を決めなかったから、全部の場合を数え上げられなかったんだなあ。」という風に、その一問のポイントはどこだったのか、できなかった理由は何なのかをはっきりさせていく。だから次に活きる。それこそが、野球のたとえと同じで、君自身の大きな成長なんだ。
「わかるところまで考える」そして「なるほど!わかった!」という快感を味わう経験をたくさん積んだ人は、自分の頭で考えること自体が楽しくなる。だから社会に出たあとも、いろいろなことを主体的に、つまり、自分で決めてやれる。君は、今まさに、この経験を積んでいる時なんだ。ぜひ「やってやるぞ!」という気持ちで、目の前の一問に取り組んでください。