高濱コラム 『働くお母さん』

『働くお母さん』 2013年4月

 花まる学習会21年目に入りました。皆様のおかげです。9月23日には、ビッグサイトで感謝イベントを行いますので、予定を空けておいてください。

 さて新年度早々、4月7日に「働くお母さんだからできること」という講演を行いました。新しい演題というのはプレッシャーも感じますが、それが良い意味で集中につながり「自分のコトバ」にたどり着けると、非常に豊かな時間になります。ただ今回は難産でした。もともとは外で仕事をしているから平日の開催では行けないというお母さんのために、日曜に開催という程度の方向性だったのですが、せっかくやるなら「働くお母さん」を極めたいなと思う自分がいて、探索の旅を始めてしまったのでした。よし分かったと思う、分かったつもりに過ぎなかったと思い知る、の繰り返しのあととった手は、とにかく働いて子育てをしたお母さんたちに、話を聞いてみるということでした。

 同じ働くと言っても、フルタイムとパート、勤めと自営業などバラバラです。もっとも多かったのは、限られた時間でテキパキ動きたいのに思うように行動してくれない子への苛立ち、苛立ってしまう自分への嫌悪というような、時間の悩みでした。他にも、どうしてもパフォーマンスが落ちてしまう仕事のこと、仕事場の目、あっけらかんと「働くの?かわいそうだね」とか「保育所少ないんでしょ」と言ってくる専業主婦の言葉、などなど不安・悩み・苛立ちのもとは、共通していました。子どもに何か問題行動があると「働いているからかしら」と思ってしまうという声も多かったです。
 一方で印象的だったのは、専業主婦で悩みのど真ん中にいる方に比べてのサバサバ感でした。割りと要点を絞って話してくれる、母だから心配は尽きないのだけれど健やかな感じを受ける、大したことない○○大卒を見ているので学歴より魅力・メシを食う力ということに強く共感してくれる、など、風通しの良い話しぶりが共通していました。地域の崩壊した現代においては、趣味でもボランティアでも週一のパートでも良いから外に出た方が心は安定するという持論を、再確認する時間にもなりました。

 その中で面白かったのは、子どもが小さかった頃の思い出を聞くと、異口同音に「かわいそうなことをした」記憶が出てくることでした。仕事で遅くなって保育園に迎えに行くと、いつものお迎えの時間からずっとリュックを背負って歩きまわっていたんですよ、と聞かされたとき。自営のお蕎麦屋さん。配達の行き来に公園を見ると、日曜でみんな親子で遊んでいるのに、一人で遊んでいるのを見たとき。きっと、色んな良い思い出はあるのでしょうが、最初に出てくるのがそういう記憶であることに、母の本質があるのでしょう。それは、一緒にいてあげたかったという強い思いです。
 一人のお母さんの話が印象的でした。その方の母は、実の母に逃げられて、兄弟3人バラバラに親戚に預けられたような方で、生きることにものすごくシビアだった。専業なんてあり得ない、自分でいつでも食べられるようにという生き方を植え付けられた。自分自身も母になり、2歳のときには保育園に預け働き始めた。「子どものことで休みを取りたくない」という強い思いがあって、実母の力も借りて、それはやり通した。他の母さんたちからは、子育てについて「厳しいね」といつも言われた。その結果は?現代で一番心配な長子長男の一人息子は、あるスポーツの全日本のメンバーに選ばれるようなたくましい人に育ったのでした。

 メシを食えないかわいそうな大人の共通項は、優しさ一辺倒で育てられた人です。長い時間一緒にいてあげたい母心は良く分かるけれども、愛情は頻度。短くても「あ、大事に思われている」と確信できることの繰り返し(例えば毎朝「あなたは宝物だよ」と、強い思いとともに言ってもらえること)で、一番大事なものは埋まっています。そして、今の子育てに足りない「生きることの厳しさ」「食っていくこと・仕事の厳しさ」を、オーラとして伝えることが働くお母さんにはできます。そう結びました。

 ちょうど聞いていた新入社員が、「私も鍵っ子で、兄と食事ということもありましたが、不思議と寂しくは無かったです。何故なら必ず途中で母から『何食べたの?』と電話がかかってきたから。気にしてくれているんだなと安心できました。そして、今日この講演を聞いて母が『寂しい思いをさせてごめんね』と思っていたんだと知って、胸が詰まる気持ちになりました」と感想をくれました。

花まる学習会代表 高濱正伸