高濱コラム 『素敵な友だち』

『素敵な友だち』2013年11月

 テレビや本でも公開している通り、一人息子の丈太朗は重度の脳性麻痺です。「はい」「うん」「いや」をごく親しい人には言える程度で、ほとんど言葉らしい言葉は発しませんし、補助なしに座ることも歩くこともできません。しかし、サマースクールや雪国スクールには、震災で中止になった回以外全シーズン皆勤しました。長期休みとなればずっと不在となることの罪滅ぼしで、せめて妻にも休暇を与えねばという意味もありますし、息子にとっても何かひとつでもプラスの経験があればと願ってのことです。

 小1から9年間、20回以上行きました。雪国の宿は階段も高く、川原も歩きにくいので、かついで歩くだけでもヘトヘトという時期もありましたが、携帯担架を使うなど毎年改善して、引率側としても成長しました。そして、そうやって息子が先陣を切ったおかげで、今年のサマースクールなどは、あちこちのコースで車いすの仲間も見ました。

 「今年は、すっごく班のメンバーに恵まれたよ!」と興奮して帰ると、「毎回言ってるじゃない」と妻に指摘され、「そうだっけ?」と答える。これが、振り返ればずっと続きました。よほど息子に神がかった運があるのでないとしたら、ほとんどの子どもは生活をともにすれば、障がいの子であっても、たちまち馴染んでくれるということです。とにかく実行しようと始めたのですが、9年たった今、「やって良かったなあ」とつくづく思います。息子はもちろん、参加した子たちにとっても。大人になっても、「俺、昔、車いすの子とキャンプで同じ班になったことあるよ」と言えるでしょうし、そこでの経験、感じたことは、かけがえのない財産になるからです。

 今年の夏、一人の6年生R君が、同じ班になりました。下の学年の子がお下品ギャグを飽きず言い続ける中でも、嫌がらず合わせてあげ、杖を突く老人のマネをしては大爆笑させ、素敵な兄貴分として後輩を可愛がっていました。そして、襖一枚隔てた部屋にいる息子のところにも、何度も何度も来てくれました。毎年、子どもたちはそうやって来てくれて周りで歌ったり踊ったりしてくれたのですが、R君が一味違ったのは、まるで二人だけで心の会話でもしているように、黙って手を握り続けてくれたことです。じっと、ずっと。

 そして、ある時、息子が嬉しくなるとやる「んーーー、まあ!」という口ぶりを、彼がマネをしたら息子は破顔一笑、負けずに大きな声で「んーーー、まあ!」とやる、R君が返すという応酬になりました。二人の声はどんどん大きくなり、息子の瞳は今まで見たことがないくらいキラキラと輝き、とうとう寝返りを打つ形で、R君を抱き寄せるように手を伸ばして肩をつかんだのでした。親以外の人間に、ここまで活力ある行動を見せたのは、初めてでした。帰宅後の息子は、人の手をずっと握り続けるようになりました。昔はすぐポイッと離していたのに。また、赤ちゃんの喃語のような言葉らしきものを、楽しげにしゃべるようになりました。

 ある社員がR君に聞いたところによると、息子と同じ班になるのは2回目だったのだそうです。一回目は「どうしていいか分からなかった」そうです。その正直さも素晴らしいですが、まさに子どもたちを見ていると、「何だこの子?」という違和感こそが、こういう経験の入り口として貴重だと思います。その場ですぐに距離を縮めてくる子もいますが、R君は一度目は見守るしかなかった。だけれど、真正面からぶつかった違和感体験こそが、時を経て心の中の土台となって、飛躍的に距離を縮めたのです。経験を重ねることの価値が、ここに明らかにあると思います。

 11月のシャイニングハーツパーティ。R君がボランティアスタッフに申し込んでくれたと聞いたときは小躍りしました。丈太朗が喜ぶだろうと思ったからです。すると、彼は役割の仕事を終えたあと、車いす席にいる息子の横で、自分は立ったまま、コンサートの間中ただ黙って手をつなぎ続けてくれました。見ていたあるお母さんが、「お子さんお二人でしたっけ?」と尋ねてくるくらいに。

 お父さんが「この子にこんな凄いところがあると知って感激しました」と言ってくれましたが、私に言わせれば、この父さんこそがR君の人間力の源泉です。人懐こい笑顔が絶えないし、小さい頃から親子キャンプなどにR君を連れてきてくれ、遊び上手ぶりが際立っていたからです(近著「子どもを伸ばす父親、ダメにする父親」に、薪割りをする二人の写真が載っています)。きっとR君自身も、お父さんのように家族を幸せにする人になるでしょうし、どんな場にあっても、目の前の一人を幸せにできる大人になるのでしょう。それにしても、このような出会いは、親としてただもう感謝の一言です。

花まる学習会代表 高濱正伸