Rinコラム 『心を育てるとは』

『心を育てるとは』2015年7月

言葉使いを聴くと、その人の心がわかります。優しい言葉ならば、優しい心であることが、乱暴な言葉使いならば乱暴な心であることが、誰にでもわかるでしょう。
 でももっと大事なことは、その言葉によって、その人の心が作られている、ということです。
 全て、言葉が始まりです。心は、言葉によって作られるのです。
 乱暴な人が乱暴な言葉使いをするのではありません。乱暴な言葉使いをしていると、結果乱暴な人になるのです。「嘘つきは泥棒の始まり」というのと同じです。
 言葉は、自分の心を伝える電波のようなものです。ことばに乗っかって、自分の心が、相手に伝わっていくのです。ですから乱暴な言葉で子どもと関われば、その子は乱暴な心を持った子になり、優しく思いやりの溢れる言葉で育てられれば、優しく思いやりのある心を持った子に育つわけです。子どもを見れば、関わる大人の言葉使いも見えてしまう、とも言えます。
 私たちは色々なことを想い、考え、行動します。それは皆、心の動きによるものです。喜怒哀楽もそうですが、機転が利く、気づく、気配りができる、感動する、というのも心の動きによるものです。
 子どもたちの前に立った時、私の癖になっていることが一つあります。それは、感じたこと、心によぎったことを(ほぼ)全部、口に出して言う、ということです。「あ、今風が吹いたね、気持ちがいいね」「もうすぐ雨が降りそうな空だね」「よかった、最後はうまくいって(先生は)ホッとしたよ」「なんて綺麗な花だろうね」「美味しそうな匂い。お好み焼きかなあ」
 子どもたちは、全く聞いていないようなそぶりで、実はしっかりと大人の言葉を聴いていて、その言葉の意味が分からなくても、言葉を放った人の心が、ひゅうっと子どもたちの心に届き、種を植えています。そうやって、心は、育っていくのです。
 心を育てることは、言葉と感性を同時に育てること。みなさんも、日常の心の動きを、ことばで表現して生きてみませんか。きっと多くの発見に満ちているはずです。

次回は、「走りながら考える人―子どもは落ち着きのないもの」をお話しします。
 
レロ由実