道場コラム 『虚像を求めないこと』

『虚像を求めないこと』 2019年3月

 親が子どもに対して、「こうあってほしい」と期待するのは当然のこと。しかし、その期待があまりにも子どもの実態からかけ離れた虚像だと、子どもへの負担は大きく、成長には負となる。成功している子どもの姿を描くのは親心、望まない親はいない。描きすぎてしまう、追い求めてしまうと現実の子どもの成長とのギャップに落胆する。子どもが親の期待から外れたとき、親が少しでも子どもを蔑視すると、子どもは落胆、蔑視を敏感に感じ取る。子どもは傷つき、自信を失う。そうすると、自己肯定感は、生まれない。親の期待に囚われる余り、思春期に期待を跳ね除けようと反抗的になったりもする。親が子どもに言うのもそれなりに理由があるだろう。「自分の失敗を、子どもに繰り返してほしくない」「自身が高学歴に辿りつけなかった」「受験が思うようにいかなかった」。そう思う親ほど教育熱心さが度を越す場合も多い。逆に、両親とも高学歴の成功を成し遂げたのに、「なぜうちの子はできないのか」と嘆く場合もある。そうしたとき、私たちはいつも「お子さんの実像を見てください」と伝えている。「お子さんを見てください。確実に頑張っています。お子さんの今をしっかりと見て、他との比較ではなく、お子さん自身がどれだけ伸びているのかを見てください」と。
 子どもからしてみれば、親が受験に失敗していようが成功していようが、親の過去を基準に自分を判断されては、たまったものではない。虚像を追って、目の前の子どもに落胆したり、失望したりしても何の生産性もない。子どもは親の感情を敏感に、確実に、見たり、感じたりしている。
 大事なのは、自分の子どもの“今、そのもの”を見て、信じてあげることだ。「テストでよい点を取ってほしい」「周囲の大人が褒めるような行儀のよい子になってほしい」。そんな理想を描いてもいいが、子どもの実像を見ずに虚像を思い描いてしまうのは、親自身が見栄や世間体に囚われている。そんなことを取り払った、あるがままの自分として子どもに向き合うことが必要だ。子どもを変えたいと思うのなら、まず、親自身も変わらなければならない。
 親からの期待は、子どもにとって大きなモチベーションになるのも事実。その期待が、親の見栄ではなく、子どもに対する愛情に基づくものであるかどうかが重要だ。親自身が勝手に思い描いた、借りものの“よい子像"を、子どもに求めるのでなく、目の前の、現実の子どもの実態に即して、「ここがもっと伸びてほしい」と期待する方が、子どもにとっても励みになる。
 ときに親の期待を裏切ってでも、子どもが自分のやりたいことに向かっていくこともある。それぞれが反骨精神を持った、大きな成長につながる。子どものやりたいようにさせた結果、子ども自身が進みたいと思う方向と親が期待する方向が合致することもあるだろうが、あくまで、たまたま。多くの場合は、親の期待と子どもの選択は異なる。自分自身が育ってきた過程を考えれば、そのことがよく理解できる。もしかしたら、子どもが親の期待通りに育つこともあるだろう。また、親も想像しなかったような方法で子ども自身が自分の生き方を切り拓いていくこともあるだろう。ただ、いずれにせよ、私たち親の思考範疇では生きていけない時代を、子どもたちは生きていかなければならない。

西郡学習道場代表 西郡文啓